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生産の現状と課題

 

 島根県のブドウ栽培は、慶応年間に浜田市下府町に佐々木新三郎氏が甲州ブドウを植えたことが始まりとされている。以後海岸部の砂丘地を中心に県下のブドウ栽培が広がっていったが、大正の末期から昭和の初期にかけて甲州に混植されていたデラウェアの方が病害に強く早熟であったために、次第に植え替えられていった。
戦時中一時衰退したブドウ生産も、戦後間もなく再び栽培が増加し、繭価の低落による桑園からの転換などにより、昭和30年代に入ると急速な増植が行われた。
昭和36年にはジベレリン処理による無核化技術が普及し、また翌年からビニール栽培も始まるようになり、消費の増加と栽培の安定が図られるようになった。さらに、昭和39年からは重油による加温栽培も始まり、収入の増加はむろんのこと、経営規模の拡大や労力配分が図られるようになった。
昭和40年代に入ると、県営の開発パイロット事業や国営の農地開発事業により、加茂町、益田市、横田町といった中山間地にもブドウが植栽されるようになり、さらに米の生産調整が始まった昭和46年以降は、水田転換による植栽も増加していった。
昭和50年代に入ってから作型の前進化が行われるようになり、早期加温やさらに早い超早期加温といった栽培が行われるようになった。一時オイルショックの影響で加温栽培は省エネ方向に向かうが、石油情勢が安定してくる昭和50年代後半から再び盛んになってきた。
しかし、早い加温栽培は一方でブドウの樹に負担をかけ、また老木化等も相まって紋羽病やならたけ病といった土壌病害の発生も深刻化していった。同時にこの頃より担い手不足が進んできたこともあって生産量は昭和58年の5,900tをピークに、また栽培面積は昭和60年の541haをピークにして下降線を描くようになった。
このようなブドウ栽培の歴史の中では、ジベレリンによる種なし化はもとより、マンガン加用によるゴマシオ果防止、樹相診断による適正管理法、施設栽培における適正な土壌管理法など、時代とともに生産技術は進歩してきた。現在も炭酸ガスの施用補光二度切りといった新しい技術の開発導入がされつつある。
しかし、担い手となる農業者の減少高齢化や、ブドウ樹の老木化、ハウスの老朽化など構造的な問題や、紋羽病などの土壌病害対策あるいは無加温栽培に多く出る裂果の対策など多くの課題が残っている。また、作型の前進化等に伴う安定生産技術や、ジベレリン処理をはじめとした作業の省力化技術など、栽培技術についてもまだまだ確立していかなければならないものが多い。(森山衆二)

 

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