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実事求是〜日韓のトゲ、竹島問題を考える〜

第15回

事実無根、韓国側の「固有の領土論」

 

 7月14日、日本の文部科学省は中学校社会科の新学習指導要領の解説書に竹島問題を取り上げた。これに猛反発した韓国側は一ヶ月後の8月14日、「東北アジア歴史財団」内に独島研究所を開設した。その理論的背景となっているのが、島根大学名誉教授の内藤正中氏と半月城通信を主宰する朴炳渉氏の主張である。韓国側では二人の説を日本批判の論拠としているからだ。その朴氏は「下條正男の論説を分析する」(韓国嶺南大學校『独島研究』4号)の中で、内藤氏の説を無批判に踏襲し、日本側の「固有の領土論」を批判しているが、ここには竹島の領有権を主張する韓国側と朴氏の竹島研究の限界が露呈している。

 この固有の領土という概念は、他国に一度も支配されたことのない領土を指し、北方領土がそれに該当する。だが残念なことに、韓国側には竹島を「固有の領土」とする根拠がない。日本政府は1905年1月、竹島を日本領に編入することを閣議決定し、戦前まで実効支配をしていたからだ。この時、問題になるのは1905年以前、韓国側が竹島を自国の領土とし、実効支配していたかである。そこで韓国側では、1900年の「勅令第41号」に石島の名があり、それが今日の独島に違いないとしてきた。理由は欝陵島に入植した全羅道漁民の方言では、独島のトクと石島のトルの発音が近いので、石島は独島だというのである。

 しかしその論理には飛躍がある。今日的感覚では、当時も欝陵島ではイカ漁が盛んだったかのような印象を受けるが、欝陵島近海でイカの漁場が発見されたのは1903年である。それは韓国政府が1910年に刊行した『韓国水産誌』にも記されており、欝陵島の韓人がイカ漁を始めたのは、1907年からである。それまで欝陵島の韓人は、農業に従事していた。それに独島の名が登場するのは1904年以後、それ以前の独島は、リャンコ島と呼ばれていた。石島を今日の独島とし、全羅道方言を論拠とするのは牽強付会の説である。

 こうなると、韓国側の実効支配もあり得ないことになる。韓国側では1952年1月18日、「李承晩ライン」を引いて竹島をその中に含め、日本政府が正式に抗議したことで、竹島はすでに紛争の地となった。そこで日本政府は1954年10月、国際司法裁判所への提訴を韓国側に提案したが、韓国側が拒否したことで竹島は係争の地となったからである。

 従って、韓国政府が竹島に灯台を設置し、接岸施設等を建設し続けても、それは実効支配にはならない。今日、韓国側がしていることは、犯罪者のアリバイ工作と同じである。いずれは歴史の審判を受けることになる。

 これは日本側も例外ではない。それは竹島問題には、何度も解決の機会が訪れていたからだ。韓国側の報道によると、2006年4月、竹島問題に関連して韓国側が海底地名を変更しようとした際、日本の海上保安庁が測量船を派遣し、対抗したが、外務省に圧力をかけ、測量船を引き揚げさせたのは日韓議員連盟会長の森元首相だという。その結果、韓国側が主張する排他的経済水域は、大幅に日本側に食い込んだ。拉致問題を使い、日本側に攻勢を掛ける北朝鮮は、竹島問題を日本の侵略とする韓国側の歴史認識を利用し、国交正常化交渉に臨もうと虎視眈々としている。日本国内には国交正常化を急ぐ勢力があるが、その前に日韓のトゲを抜いておく必要がある。さもないと日本は歴史に汚点を残すことになる。

(下條正男)


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