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実事求是〜日韓のトゲ、竹島問題を考える〜

第45回

韓国の独島研究。歴史戦から宗教論争へ

 島根県竹島問題研究会は8月24日、『第3期「竹島問題に関する調査研究」最終報告書』(以下、第3期最終報告書)を内閣府と外務省等に提出した。第3期最終報告書には、島根県竹島問題研究会編の『竹島問題100問100答』を批判した慶尚北道独島史料研究会、東北アジア歴史財団、嶺南大学独島研究所等に対する再反論も収録されている。

 その第3期最終報告書に対して、韓国側からの反応があった。2015年10月5日付の韓国の「ソウル新聞」(電子版)は、東北アジア歴史財団の報告を受けた韓国の国会議員が山崎佳子氏の論稿の言葉尻を取り、「セウォル号の悲劇を独島領有権の問題にまで利用すること自体が、韓国国民に対する侮辱」として、第3期最終報告書を批判する論拠としたのである。

 だが山崎佳子氏がセウォル号事件に言及したのは、韓国側による竹島の環境破壊を論じた中である。韓国側では近年、「独島守護」と称して頻繁に独島(竹島)を訪れ、竹島でのパフォーマンスを常態化させている。山崎佳子氏はそれらを念頭におき、「竹島は珍島と比較にならないほど韓国本土から遠く離れている」。「韓国政府は竹島近海で事故が発生した場合、迅速な対応ができるだろうか」と、苦言を呈したのである。

 「セウォル号の悲劇」を言挙げした件の国会議員は、山崎佳子氏の意図を曲解したのである。それに第3期最終報告書では、韓国側には竹島の不法占拠を正当化できる文献的根拠がない事実について、改めて論証していたはずである。その事実には触れず、「韓国国民に対する侮辱」と感情的に反発したのは、歴史戦では勝算がないと、自覚したからであろう。現に慶尚北道選出の国会議員も10月15日、中断していた独島入島支援センター建設を再燃させ、独島の領有権強化を訴えた。独島に施設物を造れば、奪った竹島も韓国領にすることができると、錯覚しているのだろう。

 だが韓国政府は1982年11月16日、独島(竹島)を天然保護区域として、自然保護を謳ってきた。その韓国政府が1996年2月、独島で接岸施設の工事を始め、翌年8月には独島警備隊宿所を改築。1998年12月には有人灯台を竣工して、2011年8月、独島の有人島化のための住民宿所を再建した。竹島を不法占拠する韓国側としては、常に何かをしていなければ不安なのだろう。だが係争中の竹島に施設物を残しても、実効支配の証拠とはならず、無効である。

 その竹島で、韓国の人々がパフォーマンスを始めるのは、島根県議会が「竹島の日」条例を成立させた2005年3月以後である。さらに2014年2月14日、『竹島問題100問100答』が刊行されると、独島を「民族の島」、「民族の自尊心」とし、これまで以上に子ども達を示威行動に動員するようになった。これと同じ現象は、百年程前の朝鮮半島にもあった。大韓帝国の財政再建のため、財政顧問に雇用された目賀田種太郎が近代的な徴税機関を設置すると、それまで農民等の膏血を絞っていた支配階層が特権を失うことに反発し、反日運動を扇動したのである。その際、動員されたのが書堂の学童や小作農達であった。

 だがこの種の政治宣伝に子ども達が使われるのはある程度、理解ができる。大人達が仕向けているからだ。理解ができないのは、大学生までが歌や踊りで「独島守護」を表現し、海外でも宣伝活動をしていることだ。歴史的に韓国領でなかった竹島も、国際社会に訴え続ければ、韓国領になるとでも思っているのだろうか。これと似た傾向は、韓国の竹島研究にもある。韓国側の主張が『竹島問題100問100答』で論破されると、日本政府の「固有の領土」論は矛盾しているとして、攻勢に出たからだ。その論拠とされた文献が1695年12月、竹島と松島は伯耆・因幡両国に附属していないとした鳥取藩の返答書。それに「竹島外一島の儀、本邦関係之なし」とした、1877年の太政官指令である。

 だがこの二つの文献は、「固有の領土」論批判の論拠としては使えない。鳥取藩が竹島と松島を附属の島でないとしたのは、元和三年(1617年)、池田光政が幕府から与えられた伯耆・因幡両国に、竹島と松島は含まれていない、と返答していただけだからである。それに鳥取藩米子の大谷・村川両家が竹島(欝陵島)渡海の許可を得たのは、翌年(1618年)である。その端緒は、池田光政が鳥取に入府する際、幕府から派遣された監使の阿部四郎五郎正之に、大谷・村川両家が欝陵島渡海を願い出たことにあった。事実、大谷・村川両家に与えられた渡海免許は幕府が発給したもので、鳥取藩とは関係がなかった。そこで鳥取藩は、幕府から「竹島の外に附属の島は」と問われると、「附属」していないと返答したのである。それを韓国側では、江戸幕府が竹島と松島を日本領では無いとした証拠とするが、それは史実を無視した文献の恣意的解釈である。

 残念なことに、文献の恣意的解釈は太政官指令でも行われていた。それはシーボルトの「日本全図」(1840年制作)と英国海軍の1863年版と1876年版の海図(注1)に対する知見があれば、太政官指令の中の松島が独島でなかった事実は、確認ができたからである。

【1】シーボルト「日本全図」

【1】シーボルト「日本全図」(李鎮明『独島、地理上の再発見(改訂増補版)』263頁より)

【2】1863年、英国海軍海図「日本-日本、九州、四国及び韓国一部」

【2】1863年、英国海軍海図「日本-日本、九州、四国及び韓国一部」(李鎮明『独島、地理上の再発見(改訂増補版)』273頁より)

 日本に五年ほど滞在したシーボルトは、帰国後、「日本全図」を作製した。その「日本全図」が、その後の西洋の地図と海図に大きな影響を及ぼしたのである。シーボルトの「日本全図」には、現在の竹島が描かれておらず、その代わりに従来の西洋の地図等にあったアルゴノート島が竹島とされ、ダジュレート島(現在の欝陵島)を松島としていたのである。その事実は、付記で「北緯37度25分」、「東経130度56分」とされた経度と緯度が、鬱陵島のものだったことでも確認ができる。シーボルトは、欝陵島を松島として西洋に伝えていたのである。そのためフランスの捕鯨船リアンクール号が現在の竹島を1849年に発見し、リアンクール岩礁と命名すると、1863年版の英国海軍製の海図ではそのリアンクール岩礁に「LiancourtRksdiscoveredbyFrench(1849),inEnglishHornetI.,inRussianMenelai&Olivutsa」と注記し、松島(鬱陵島)と所在不明の竹島(アルゴノート島)の三島を描いていたのである。この時、リアンコールト岩礁は英国ではホーネット島、ロシアでは竹島の東島をメネレライとし、西島をオリビスタと称していたのである。

 1877年、太政官指令で「竹島外一島の儀、本邦関係これなし」とした際、島根県が提出した「礒竹島略図」では伝統的な呼称を用いて欝陵島を竹島とし、現在の竹島を松島としたが、1876年版の英国海軍の海図等では、欝陵島を松島としていたのである。日本政府がその事実を認識するのは、太政官指令から三年後の1880年。外務省嘱託の北澤正誠が海図等の松島が欝陵島であったことを確認し、以後、日本政府では欝陵島を松島と称することになるのである。そのため1905年、「隠岐島ヲ距ル西北八十五浬ニ在ル無人島」を日本領とする際、欝陵島の旧島名である竹島を新島の島名としたのである(注2)。

 これに対して、韓国側では竹もない岩礁に竹島と命名したのは不適切と主張する人士もいるが、それは竹島の姿から連想した憶説である。韓国側の竹島研究では、文献批判を等閑にする傾向があるため、文献の一部を恣意的に読み、演繹的な解釈をするである。1695年の鳥取藩の返答書や1877年の太政官指令等、証拠能力のない文献を日本政府の「固有の領土」論批判の論拠としたのも、結局、文献を恣意的に解釈してきたからである。

 その韓国の独島研究所が10月21日、小中高生を対象とした独島関連の教育材料をネット上に公開した。そこでも証拠能力がないことが実証された『三国史記』、『世宗実録』「地理志」、『新増東国輿地勝覧』を根拠に、独島(竹島)は歴史的に韓国領であるとしていた。

 だが独島研究所では、韓国側には竹島の領有権を主張できる歴史的権原がない事実を隠して、虚偽の歴史を小中高生達に教え込もうとしているのである。その手法は百年程前、書堂の学童を使嗾して、反日に煽り立てたのと同じである。その風潮が子ども達だけでなく、大学生までが示威行動を通じ、自己の主張を貫徹させようとする精神風土を培ってきたのである。この10月21日に公開された独島研究所の独島教材は、その宣教のための教典である。

 だが日韓の歴史問題で重要なのは、歴史の事実である。韓国側が作り上げた歴史認識に沿って、民族的な自尊心を満足させることではない。それでは日韓の間に接点はなく、いつまで経っても日韓の竹島論争は平行線を辿らざるを得ない。

 事実、昨年11月21日、ソウル大学校日本研究所が主催した学術会議「独島問題は日本ではどのように論議されているのか」などは、その種の宗教的儀式である。シンポジウムの概要は同研究所が刊行した同題の冊子(注3)で確認ができるが、そこでは「独島は我が領土」を宗旨とし、日本政府の「固有の領土」論批判が論じられている。日本側からは和田春樹、池内敏、孫崎享、福原裕二、東郷和彦、岩下明裕の諸氏が参加し、韓国側からは基調講演をした元外務部長官の孔明魯氏と元国会議長の金守漢氏等が出席していた。その基調講演で孔明魯氏は、堀和生氏や池内敏氏による太政官指令と『隠州視聴合記』の解釈を根拠に、日本では独島(竹島)を日本領ではないとしていた、と強調していた。

 だが堀和生氏による太政官指令の解釈と池内敏氏の『隠州視聴合記』研究(注4)には、致命的な誤りがあった。そして何よりも重要なことは、韓国側には竹島の領有権を主張できる歴史的権原がないという事実である。韓国側ではその事実に気付いたのであろう。それは『竹島問題100問100答』の刊行以後、韓国側では歴史的領域での反論から日本政府の「固有の領土」論批判に、戦略転換を余儀なくされたからである。ソウル大学校日本研究所主催の学術会議で、日本政府の「固有の領土」論批判をテーマとしたのも、その事実を隠蔽するための弥縫策である。

 元外務部長官の孔明魯氏は、韓国側が独島を実効支配しているとしたが、それは文献を演繹的に解釈する人々の主張に盲従しただけである。竹島を自国領とする歴史的権原を持たない韓国側に、日本政府の「固有の領土」論批判をする資格がないことは自明である。それが理解できないのは、「独島は我が領土」といった先入見で文献を解釈するため、帰納的に結論を導き出すことができないのである。

 その典型的な事例としては、「日本の史料で日本の独島主張を覆す」とした11月5日付の韓国の「ハンギョレ新聞」(電子版)がある。同紙は柳美林氏の新著『日本史料の中の独島と欝陵島』を紹介し、「独島領有権問題に対処するには、ありのままの史料の発掘と研究の蓄積、その正しい解析がどれだけ重要なのかをよく示している」と報じた。そこでも1877年の太政官指令や1900年の「勅令第41号」を根拠に、独島は韓国領としているのである。

 だが太政官指令については、「竹島外一島」とされた一島(松島)が、当時の海図等では欝陵島であった事実が確認されている。また韓国側が独島とする「勅令第41号」の石島は、1882年に欝陵島を踏査した李奎遠が「牛の項(うなじ)」とした島項(別称、観音島)である。韓国側では「勅令第41号」の石島は独島に違いないとするが、文献上に独島が登場するのは1903年前後である。その独島が、三年前の「勅令第41号」に影響を与えたとするのは荒唐無稽な憶説で、石島を独島の借字とするのは詭弁である。

 一方、島項は「海図306号」(竹邊湾至水源端)や農商工部水産局編纂の『韓国水産誌』(第二輯)では、鼠項島と表記されている。この鼠項を、漢字二文字で漢字音を表す韓国の伝統的な反切で読んでみたらいい。いずれも大韓帝国が日本に併合される前に成立した海図と『韓国水産誌』である。鼠項はソクと読め、ソクは石である。鼠項島が「勅令第41号」に記された石(ソク)島なのである。

 柳美林氏は、『日本史料の中の独島と欝陵島』の執筆に際して、「勅令第41号」の石島を独島とする前提で、立論しているようである。だが李奎遠に由来する島項は、これを反切で読むと、石島と読めるのである。

 これまで韓国側が独島(竹島)の領有権を主張する際に、その論拠としてきた『三国史記』、『世宗実録』「地理志」、『新増東国輿地勝覧』等には、いずれも証拠能力がないことが実証されている。1905年の竹島の日本編入を日本の侵略とする際、その根拠にされた「勅令第41号」にも証拠能力がなかったのである。韓国側が独島としてきた「勅令第41号」の石島は欝陵島近傍の島項(観音島)で、独島とは関係がないからである。

 近年、竹島問題を含め、韓国側の主張には宗教的な熱心さがある。「独島は我が領土」としたお題目を唱え、文献を演繹的に解釈しているからだ。柳美林氏の『日本史料の中の独島と欝陵島』もその同朋である。同書を紹介した「ハンギョレ新聞」は、「正しい解析がどれだけ重要なのか」としているが、それが求められているのは韓国側なのである。

 韓国側でいくら独島を「民族の自尊心」とし、示威行動に訴えても、そこに歴史的根拠がなければ、異端者であり続けねばならないからである。

(下條正男)


(注1)【1】シーボルト「日本図」(1840年作)と【2】1863年、英国海軍海図「日本-日本、九州、四国及び韓国一部」は、李鎮明『独島、地理上の再発見(改訂増補版)』(株)図書出版サムイン(2005年7月刊)を参照。

(注2)島根県総務部総務課編『島根県所蔵行政文書一』所収、明治37年11月30日付「乙庶第一五二号」に、「其名称ハ竹島ヲ適当ト存候、元来朝鮮ノ東方海上ニ松竹両島ノ存在スルハ一般口碑ノ伝フル所、而シテ従来当地方ヨリ樵耕業者ノ往来スル欝陵島ヲ竹島ト通称スルモ、其実ハ松島ニシテ、海図ニ依ルモ瞭然タル次第ニ有之候、左スレハ此新島ヲ措テ他ニ竹島ニ該当スヘキモノ無之、依テ従来誤称シタル名称ヲ転用シ、竹島ノ通称ヲ新島ニ冠セシメ候方可然ト存候」とある。これは島根県内務部長堀信次より、新島の命名に関して意見を求められた隠岐島司東文輔が回答した文書。

(注3)ソウル大学校日本研究所ReadingJapan18『独島問題は日本ではどのように論議されているのか』ジェイエンシー(2015年6月刊)

(注4)本コーナー「実事求是43」を参照のこと。池内敏氏の『隠州視聴合記』の文献解釈についても言及。


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