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杉原通信「郷土の歴史から学ぶ竹島問題」

第2回鬱陵島(竹島)渡海の始祖馬多三伊と大屋甚吉


隠岐から157キロの所に現在の竹島があり、そこからさらに92キロ先に鬱陵島があります。前回述べましたように朝鮮王国がここに人を住まわせない、いわゆる「空島政策」をとりましたので無人島のようでした。島に豊富な産物があることに気づき、ここを目指したのは日本人達でした。具体的な名前でわかる鬱陵島へ行った最初の人は、美保関(現在の島根県松江市美保関町)の馬多三伊[またざい](又左衛門か又蔵のことと思われます)等で、次が米子(現在の鳥取県米子市)の商人大屋(後に大谷と改名)甚吉[おおやじんきち]です。
まず馬多三伊についてですが、外務省関係の古い記録をまとめた北澤正誠[まさのぶ]の『竹島考証』には、「元和二年雲州三保関ノ人七名、竹島ニ至り漁撈シ、風ニ逢ヒ朝鮮ニ漂着ス、朝鮮礼曹参議書ヲ宋(宗)氏ニ与テ、之ヲ護送ス」と、「禮曹参議與書於弊州、以送返漂民之事、総三度矣。其中七十八年前書云、倭人馬多三伊等住居三尾関、而往漁于鬱陵島」の二つの対馬藩の資料を載せています。去年鬱陵島で調査をした帰りに、福岡県太宰府の九州国立博物館に立ち寄ったところ、朝鮮の礼曹参議(外交の長官)の李命男という人が対馬藩主宗義成に、三尾関(美保関)の馬多三伊等を送るから彼等を故郷に帰してやって欲しいという手紙の実物を所蔵されていることを知りました【写真1参照】。「万暦四十六年七月」とありますから、西暦1618年、日本では元和4年に対馬まで送還されたことがわかります。当時の朝鮮の王室の記録である『朝鮮王朝実録』の光海君日記[こうかいくんにっき]の部にも、馬多三伊等の漂着のことが記録されていますし、後の『粛宗実録』[しゅくそうじつろく]や『春官志』[しゅんかんし]という本等にも、日本人漂着者を丁重に扱った事例として馬多三伊の名が出てきます。目下地元の美保関の地方[じかた]文書に馬多三伊等のことを記したものが見つからず残念ですが、江戸時代の初期に、現在の竹島よりさらに先の鬱陵島で美保関の人達が漁をしていたことは注目すべきことです。

元和3(1617)年、今度は米子の回船業者大屋甚吉が、越後(新潟県)から荷物を運んで帰る途中遭難して鬱陵島に漂着しました。江戸時代は物資の郵送は船で行われることが多く、北海道の松前からいわゆる北前船[きたまえぶね]として高田屋嘉兵衛の船が鬱陵島と竹島の間を通って石見や長門を往復することが浜田藩(島根県)で書かれた「石見外記」(いわみがいき)には記されています。また山陰の廻船が越後や北海道にまで出向いたことも、越後の出雲崎等大きな港の「廻船控」に記録されています。

そうした中で大屋甚吉船の鬱陵島漂着が起こりました。「大谷家古文書」[おおやけこもんじょ]には「甚吉全く島を巡り、越し方等熟思す。朝鮮国より相隔たること四五拾里、人家更に無く土産所務の品之れ有り。姿や渡海の勝手相考え日を経て漸く湊山[みなとやま](現在の米子市)へ帰帆す」と、甚吉が鬱陵島全体を廻って豊富な資源の存在を確認し、渡海事業開始を決意したとあります。米子に帰った甚吉は友人の村川市兵衛と共に江戸幕府に渡海許可を申請し、許可されると70年余りにわたる鬱陵島渡海を開始しました。この間に現在の竹島の存在も知り、中継地として利用したり、この島のアシカやアワビの漁をするようになりました。甚吉は自ら数回鬱陵島へ渡りましたが、この島で病死したそうです。米子の町人を中心に形成された船員の中に、常に2、3人の出雲の人が加わっていましたし、船が出港するのはきまって美保関の外港の雲津[くもづ]からでした。おそらく甚吉より先に馬多三伊のように鬱陵島へ出かけ、鬱陵島までの海上の航路を熟知している漁師が美保関にはおり、そのうちの2、3人が水先案内人として協力していたのではないかと私は考えております。

九州国立博紀要「東風西声」掲載史料
 【写真1】日本人(馬多三伊)の鬱陵島での漁業を示す朝鮮から対馬藩主への外交文書(史料名「礼曹参議李命男書契」1618年7月)出典:『東風西声』(九州国立博物館紀要)創刊号2005年
大谷家旧蔵葵御紋船印(山陰歴史館所蔵)
【写真2】江戸時代、幕府から許可を受け鬱陵島に渡り漁業活動をしていた米子(鳥取県)の町人大谷家が徳川家から下賜された葵御紋印入りの船の旗(資料名「竹島渡海船の葵御紋入船印(衝立仕立)米子市立山陰歴史館所蔵)

(主な参考文献)
北澤正誠『竹島考証』『朝鮮王朝実録』(「光海君日記」、「粛宗実録」)
李孟体『春官志』『東風西声』(九州国立博物館紀要)創刊号(2005年)
「竹島渡海由来記抜書控」(大谷家古文書)
「竹島渡海禁止並渡海沿革」(鳥取藩文書)


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