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韓国が知らない10の独島の虚偽

第1回

「日本は古くから竹島の存在を認識していました。」(日本外務省)の正当性

 

 この4月、韓国の東北アジア歴史財団は「日本が知らない10の独島の真実」と題した小論をネット上に公開し、韓国側の竹島研究の一斑を示した。結論から言えば、「韓国が知らない10の独島の虚偽」とすべき内容で、歴史的根拠がないまま竹島の不法占拠を続ける韓国側の実態を露呈するものとなった。

 今回、東北アジア歴史財団が「日本が知らない10の独島の真実」を発表した背景には、2008年2月、日本の外務省が刊行した小冊子「竹島問題を理解するための10のポイント」の存在がある。韓国側ではすでに2008年4月、東北アジア歴史財団と韓国海洋水産研究院等が反論を試みたが、いずれも成功していない。

 外務省の「竹島問題を理解するための10のポイント」の「1.日本は古くから竹島の存在を認識していました。」(1)では、韓国側が竹島を朝鮮時代の于山島とする根拠としてきた『東国文献備考』の記述には改竄がなされていた事実を指摘しているが、それに対する反論ができずにいるからだ。この事実は、「于山島=竹島」とする前提で竹島の領有権を主張して来た韓国側の論拠が崩れ、韓国側には竹島を占拠する歴史的根拠がなかったということである。

 だが東北アジア歴史財団がまとめた「日本が知らない10の独島の真実」では、依然として「于山島=竹島」の前提で論を進め、厚顔無恥な日本批判を繰り返している。東北アジア歴史財団の「日本が知らない10の独島の真実」を「韓国が知らない10の独島の虚偽」とする理由がここにある。そこで東北アジア歴史財団による歴史捏造の実態を明らかにし、竹島問題がなぜ解決しないのか、その背景を明らかにすることにした。

 レポートの初回となる今回は、外務省「竹島問題を理解するための10のポイント」の「1.日本は古くから竹島の存在を認識していました。」を取り上げる。

 東北アジア歴史財団は、日本側の主張を以下のように要約し、次の1〜4を根拠に「日本の主張はこれだから誤りだ」としている。

 

 


【要約】
「経緯度線を表示した日本地図で、最も代表的な長久保赤水の『改正日本輿地路程全図』(1779年)等、日本の各種地図と文献でこれを確認することができる。」


 

【韓国側の批判1】

『改正日本輿地路程全図』は、個人が作った私撰地図で、1779年の初版には欝陵島と独島が朝鮮本土とともに彩色されていない状態で経緯度線の外に描かれており、かえって日本の領域外の島として認識している

【東北アジア歴史財団による歴史の捏造】

 東北アジア歴史財団は、『改正日本輿地路程全図』が私撰の地図であること。1779年の初版では欝陵島と竹島が朝鮮本土とともに彩色がなされておらず、経緯度線の外に描かれているとの理由を挙げ、逆にそれらを根拠に、欝陵島と竹島を「日本の領域外の島として認識」していた証拠とした。

だがこれは反論になっていない。中央集権的な社会体制の歴史を持つ朝鮮半島では、国家権力によって歴史を編纂する伝統があり、文献的な論拠ではなく、私撰の地図には証拠能力がないとする先入見で『改正日本輿地路程全図』を解釈しているからだ。

 一方、中央集権体制から地方分権的な社会体制に移行した日本では、国家が歴史を編纂する修史事業の伝統が10世紀に途絶え、その後、近世になって朱子学批判と国学が起こるとともに、近代的な歴史研究の基礎が確立した。その際、文献批判が重視され、朱子学の基本テキストであった朱註も当然、文献批判の対象となった。歴史研究で重要なことは、適切な文献批判が行なわれているかどうかにある。その点で東北アジア歴史財団の反論には文献批判の痕跡がなく、前近代的な歴史感覚の範疇を出ていない。東北アジア歴史財団が『改正日本輿地路程全図』を解釈し、長久保赤水が欝陵島を朝鮮領と認識していたとするためには、長久保赤水が何を根拠に竹島(欝陵島)と松島(竹島)を描いたのか、文献を挙げて実証する作業が欠かせないからだ。

 それに長久保赤水の『改正日本輿地路程全図』には、欝陵島と竹島が描かれたヒントが残されている。『改正日本輿地路程全図』の欝陵島に、「見高麗猶雲州望隠州」と「竹島一云磯竹島」と記された付記がそれである。この付記は寛文七年(1667年)、齋藤豊仙が編述した『隠州視聴合記』(「国代記」)に由来し、そこでは欝陵島が日本領の北西限であることが明記されている(註1)。長久保赤水がその文言を付記に引用した事実は、長久保赤水も齋藤豊仙と同様、欝陵島を日本領として認識していた証左と言える。

従って、「私撰地図」。「彩色されていない状態」。「経緯度線の外に描かれて」いる等、根拠にもならない理屈を並べ、長久保赤水が欝陵島や竹島を「日本の領域外の島として認識」していたとするのは、歴史研究とは無縁の所作である。長久保赤水は付記によって、欝陵島を日本領としているからだ。

 さらに東北アジア歴史財団では、長久保赤水の『改正日本輿地路程全図』を私撰の地図と決め付けているが、安永四(1775)年三月、『改正日本輿地路程全図』の序を書いた柴邦彦は、後に幕府の昌平黌の教官となった柴野栗山で、長久保赤水は幕府御三家の一つ水戸藩の侍講であった。長久保赤水が『改正日本輿地路程全図』に引用した『隠州視聴合記』も、官命を受けた松江藩の齋藤豊仙が編述したもので、それぞれに確かな根拠がある。私撰の地図と言うレッテルを貼り、『改正日本輿地路程全図』そのものを封印しようとする態度は、感心しない。このように前近代的な歴史感覚で竹島問題を論ずる限り、韓国側では「韓国が知らない10の独島の虚偽」の世界に埋没せざるを得ないのである。

 (註1)韓国側では、名古屋大学の池内敏教授の説に従い、『隠州視聴合記』(「国代記」)の「此州」を隠州(隠岐島)のこととしているが、それは漢文が読めていない池内氏に盲従しているだけである。『隠州視聴合記』については、後に述べる。

 

【韓国側の批判2】

さらに日本の官撰文書を見れば、日本が独島を韓国の領土と認識していたことをより明確に知ることが出来る。近代の日本の外務省は『朝鮮国交際始末内探書』(1870年)で、「竹島(鬱陵島)と松島(独島)が朝鮮付属となった事情」という報告書を作成し、独島が韓国の領土であることを自ら認めている

【東北アジア歴史財団による歴史の捏造】

 東北アジア歴史財団は、『朝鮮国交際始末内探書』を読んでいるのだろうか。外務省が作成した「竹島(鬱陵島)と松島(独島)が朝鮮付属となった事情」といった報告書は、存在しないからだ。外務省より朝鮮出張の官命を受け、1870年に提出した佐田白茅等の『朝鮮国交際始末内探書』には13の調査項目があり、その終尾が「竹島松島朝鮮附属に相成り候始末」である。だが佐田白茅等は、その復命で「この儀、松島は竹島の隣島にて、松島の儀に付、これまでも掲載せし書留」がないとした。これは欝陵島が朝鮮領となった記録は確認できるが、隣島松島が朝鮮領となった記録は存在しない、と報告したものである。松島が朝鮮領となった記録がない以上、松島は朝鮮領に属していたとはいえないのである。

 では佐田白茅等が朝鮮調査をした当時、松島は朝鮮領に属していたのであろうか。昨年11月、ソウル市内で発見された同時代の金正浩の『大東輿地図』(写本)や『青邱図』等には、今日の竹嶼である于山島は描かれているが、松島(竹島)が韓国領であったことを示す地図や文献は存在しない。朝鮮側では竹島を自国領として認識していなかったのである。日本に対し、一方的な批判を繰り返す韓国側には、そもそも竹島の領有権を主張する資格がないのである。

 

【韓国側の批判3】

また、日本の海軍省が1876年に発行した「朝鮮東海岸図」のような官撰地図も独島を韓国の領土に含めている

【東北アジア歴史財団による歴史の捏造】

 海図は、航海に必要な水路の状況を示すことを目的とし、国境線を示すことが目的ではない。従って、海図を根拠に竹島の領有権を主張すること自体、意味がない。それよりも海図と共に製作された水路誌で、朝鮮の疆域を「北緯三三度一五分より同四二度二五分、東経一二四度三〇分より同一三〇度三五分に至る」(『朝鮮水路誌』明治27年刊)と明記していることの方が重要である。その中に東経131度55分の竹島が含まれていないことは、自明だからだ。韓国側では『朝鮮水路誌』にリアンクール列岩が記されていると、それを竹島が朝鮮領であった証拠とするが、それは日本海の中の岩礁を列挙したに過ぎない。それ故、北海道の奥尻島と黒龍沿岸州の間にあるとされたワイオダ岩(北緯42度14分30秒、東経137度17分)も記されているのである。東北アジア歴史財団は、自ら論拠とした文献や地図も正確に読んでいないのである。

【韓国側の批判4】

1877年、日本の最高行政機関である太政官は、17世紀末、徳川幕府が下した欝陵島渡海禁止措置を土台に"...伺いの趣、竹島(欝陵島)外一島(独島)の件に対し、日本は関係がないと心得よ"と内務省に指示し、独島が日本の領土でないことを公的に認めた

【東北アジア歴史財団による歴史の捏造】

 韓国側では1877年の太政官指令に「竹島外一島の儀、本邦関係これなし」とあると、それを文献批判をすることもなく、今日の欝陵島と竹島(独島)と解釈した。これは島根大学名誉教授の内藤正中氏と朴炳渉氏の説に無批判に従ったに過ぎない。事実、その解釈の誤りは、皮肉にも、東北アジア歴史財団が「独島を韓国の領土に含めてい」た証拠とする日本の海軍省の「朝鮮東海岸図」(1876年)が証明してくれる。「朝鮮東海岸図」には、破線で描かれた竹島、松島、それに今日の竹島となるリアンクール岩礁が描かれているからだ。

 

朝鮮東海岸図

朝鮮東海岸図の部分の画像

↑竹島(アルゴノート島)部分の拡大

(国立公文書館所蔵「朝鮮東海岸図」部分)

 

 「朝鮮東海岸図」が製作されたのは1876年、太政官指令が下される前年である。太政官指令が下された1870年代、世界の海図には実在しない竹島(アルゴノート島)と松島(ダジュレー島・欝陵島)の外に今日の竹島(リアンクール岩)が描かれ、それが地図としても通用していた。海図に竹島(リアンクール岩)が載るのは、1849年にフランスの捕鯨船リアンクール号が同島を発見し、リアンクール岩と命名してからである。日本の海図及び地図はそれを踏襲し、実在しない竹島(アルゴノート島)と松島(欝陵島)が描かれていた。1877年の太政官指令に「竹島外一島の儀、本邦関係これなし」とある竹島と外一島の松島は、その実在しないアルゴノート島と欝陵島のことである。それを明確に示しているのが、東北アジア歴史財団が論拠として挙げた日本の海軍省が作成した『朝鮮東海岸図』なのである。

 東北アジア歴史財団は「太政官指令」を根拠に、「独島が日本の領土でないことを公的に認めた」とするが、その偽りの主張こそ「韓国が知らない10の独島の虚偽」の一つなのである。

 


(1)外務省「竹島問題を理解するための10のポイント」(外部サイト)


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