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リレーシンポジウム「宍道湖・中海の自然とその歴史」を開催しました。

 島根・鳥取両県では、今年度から「ラムサール条約湿地宍道湖・中海の自然と歴史」をテーマに、リレーシンポジウムを開催しています。

 

 島根県の第1回目は、宍道湖・中海周辺の成り立ちや古代の人々の暮らし、生物の変遷などを地質、歴史、生物のそれぞれの専門家4名の方々から話題提供していただき、その後参加者からの質疑応答や意見交換を行いました。

 

 

■開催日時・会場等

日時:平成23年9月25日(日)午後1時30分から午後4時

会場:道の駅秋鹿なぎさ公園(松江市岡本町1048番地1/TEL0852-88-3700)

参加者:35名

 

■内容

(1)話題提供

◇宍道湖の底から太古の森が見える?

 島根県立三瓶自然館企画情報課主幹中村唯史氏

 

・約1万年間に渡る宍道湖の湖底にたまった泥の中の花粉から分かる環境変化

 7000〜8000年前の最終氷期の寒冷な気候から、後氷期(現世)の温暖な気候への変化に伴い、宍道湖の集水域にあたる範囲の森が冷温帯に多いブナが優先する森から、暖温帯に多いカシ・シイが多い森に変化。

 300〜400年前頃、たたら製鉄などによる山林伐採などの人的開発の影響によりカシ・シイ類が急減し、マツ属の出現量が急増する変化が見られる。

 

・海水準変動による海岸地形の変化

 2〜1.8万年前頃の最終氷期最寒冷期...海岸線は大社湾の沖合にあり、宍道湖一帯は低平な谷地形。

 約1.1万年前に最終氷期が終ると、気候は急速に温暖化...谷だった宍道湖一帯は海没し、東西に細長い湾が形成。海面上昇は7000年前頃には一段落し、その後は現在とほぼ同水準で推移。内湾では河川が運ぶ土砂によって三角州が前進し、平野が拡大。約7000年前に存在した湾は、斐伊川、神戸川が運んだ土砂により出雲平野を拡大し、湾を閉塞して宍道湖が形成された。

 

・出雲平野の形成

 神戸川上流の三瓶火山の5000年前と4000年前の火山噴出物によって、出雲平野西部は急激に拡大。出雲平野東部には中世〜江戸時代以降、製鉄の影響で排出された砂が広く厚く堆積。

 宍道湖とその周辺の環境は地球規模の変化や局地的な自然現象、人的開発の影響に応じてゆっくりと、しかし、時には劇的に変化してきた。宍道湖の湖底の泥に刻まれた過去の環境の記録は、現代の環境も自然の移ろいの一断面であると教えてくれている。

 

◇宍道湖・中海の形成と人々のくらし

 島根県埋蔵文化財調査センター管理グループ課長丹羽野裕氏話題提供の写真

 

・大きな谷の底に川が流れていた時代〜旧石器時代〜

 絶滅した大型動物が生存。人々は狩猟を主とする遊動生活。湖底の地形から、現在の矢田の渡し付近を分水嶺とし、東西に大きな川が流れ、現在の松江市南側を中心に、湖の周辺には段丘地形が広がる。遺跡からは隠岐産黒曜石や瀬戸内産安山岩もあり、遊動範囲は中国山地を挟んで瀬戸内地方から隠岐まで及んでいた可能性が高い。

 

・豊かな海の幸〜縄文時代〜

 イノシシ、シカ、ウサギ、タヌキなどほぼ現在と同じ。宍道湖・中海部分の東西両側が海とつながり、水道状に。両側は次第に砂州が発達。人々は1カ所に集落を定める定住生活へ変化。森林の形成で、ドングリ、クリなどのナッツ類、キノコ、山菜などが豊かに。波が静かな内海の広がりにより漁労活動の活発化。潟胡にはヤマトシジミを中心とした貝塚が形成された。

 

・水田稲作のはじまり〜弥生時代〜

 宍道湖は汽水域化が想定される。水面の陸化も進む。人々は低地での水田稲作を中心とした生業へ。内水域の活発な利用も継続され、ヤマトシジミ中心の貝塚が形成された。様々な漁具も出土している。

 宍道湖・中海の形成の歴史と共に歩んできたこの地域の人々の歩みを知ることで、地域のアイデンティティ、誇りを醸成することが出来る。また、これからの賢明な利用を考える上でも、重要な示唆を与えることは間違いない。

 

◇出雲風土記にみる宍道湖・中海周辺の生活と神話

 島根県古代文化センター専門研究員野々村安浩氏

・周辺郡の水産物

 中海:イルカ、ワニ(ワニザメ)など外洋の生きものが記載されている。

 宍道湖(秋鹿の辺り):魚の記載の他に、くぐい、かり、たかべ、鴨など現在でも見られるものの名前がある。

 

・神話伝承

(1)安来郷の伝承

 安来郷の毘売埼で娘を鰐に食い殺された、語臣猪麻呂が、海の神(ワニ)の助力により復讐をとげたのち、その鰐を割き串に懸け道のほとりに立てるという、水辺で生活する人の習俗・暮らしぶりを伺うことができる。

(2)朝酌郷・朝酌促戸の伝承

 現在の大橋川周辺は熊野大神への貢納物をになう朝酌郷や春秋に市が開かれ多くの人が集う場所だった。

(3)たこ嶋・蜈蚣嶋の伝承

 現在の大根島や江島の風土記時代当時の地名(島名)である「たこ嶋」「蜈蚣嶋」の由来。

 

・人々の暮らし宴の様相

 忌部神戸(現在の玉造)・邑美冷水(現在の松江市大井町)の辺りは、「男・女・老人・子どもが集う」場所として記載されている一方、前原埼(これも現在の大井町の湖岸より)は男女が集い、歌を通して求愛する「歌垣」という場所だった。

 出雲国風土記には、当時の人々の「普通の生活」はあまりかかれておらず、宴などの「特別な事柄」についてかかれている。それは現代のニュースなどと同じである。風土記に記載された当時の様子から、みなさんと共に両湖の賢明な利用について改めて考えるヒントが得られればと思う。

 

 

◇今昔、宍道湖・中海の生きものを比べてみる

島根県立宍道湖自然館主任飼育技師佐々木興氏

 

・現在の宍道湖・中海

 宍道湖:平均塩分3〜5‰(海水の約1/10)。

 斐伊川の水を主な供給源とし、大橋川を通じて塩分の濃い汽水が流入。宍道湖七珍に見られるように、比較的海水に多いスズキと淡水に多いフナが同時に見られることが特徴的。

 中海:平均塩分15‰(海水の約1/2)。

大橋川から宍道湖の汽水が流入。飯梨川、伯太川からの淡水流入も多い。中海十珍にはサヨリやヒイラギなど塩分濃度の高い場所で見られる魚が多くあげられている。

 

・昔の宍道湖・中海

出雲国風土記の記載から

 中海:「イルカ、ナマコ、サメ」の記載→海に近い状態。

 「ボラ、コノシロ、クロダイ」→湖底が砂泥底であったと思われる。

 宍道湖:「スズキ、ボラ、クロダイ、エビ」→現在の宍道湖よりも塩分が高く、中海に近い環境か?

 佐太水海(現在の潟の内辺り)...「フナ」→現在の宍道湖に近い環境ではないか。

スズキやフナなど、人間の生活に密接に関わっている生物の名前は古い時代から変わらずに使われていることが分かる。

一方で、今ではあまり知られていないコノシロが今と同じ名前で記載されていることはとても興味深い。

 

出雲国産物帳の記載から

 出雲国産物帳が作成されたのは今から約300年前であり、その頃には現在の宍道湖・中海とほぼ同じ環境が作られていたと思われる。「えのは」「あまさぎ」「ごず」など、現在でも普通に使われている名前が多く見られる。産物長に記載された絵図や解説文から推察できる魚もあるが、分からないものもいくつかある。

 古い文献に記載された生きものを推定することで、はるか昔から宍道湖・中海が周辺の人々の暮らしと密接にかかわり続けてきた豊かな水域であることを改めて認識できる。

 

 

【質疑応答】

質問:国引き神話と地質学的な関連性は?質疑応答の写真

答え(丹羽野氏)

 島根半島が陸地化したのは縄文海進のあった時代であり、国引き神話が作られた8世紀頃に約2000年前の記憶が語られたかという問題になると思う。個人的な意見としては、神話が語られるにはある一定の集団のまとまった意識の形成が必要で、そうだとすると2000年前まで遡るのは難しいのではないかと思う。しかし、当時の人々が、ひっぱってくるのに適当な場所として島根半島を見たというのは、正しい地理的な知識を持って島根半島の山々を見ていたと思う。

答え(中村氏)

 出雲平野の成り立ちは、全国的に見ても特徴的なものである。三瓶山の噴火の土砂により、一気に平野が形成された。そのことと神話との関わりは別の話だが、そういった地質的な変化を持つ出雲の地に、そのような神話が残されているのは非常に興味深いと思っている。

答え(野々村氏)

 出雲国風土記は出雲国造に対して語られたものであり、島根半島や出雲平野が国としてまとまっていったことを象徴的に書いたものではないかと個人的には考えている。地質学的な関わりと結びつけるには、先の丹羽野氏の話にもあるように時代が離れすぎていると思う。

 

質問:斐川町に堆積した砂は何cmくらいか?地震が起きた時、液状化の可能性は?全体の様子

答え(中村氏)

 砂の堆積は、だいたいどこでも10〜15m。出雲平野、簸川平野東部はこれまで大きな地震を経験したことがないため、個人的には、震度5〜6くらいの地震で液状化が起こる可能性もあるのではないかと推測している。

 

質問:シジミやいつ頃からあったのか、どのくらいの資源量があったのか?

答え(中村氏)

 湖底の堆積物の中で、シジミが最初に出始めたのは約6000年前くらいだが、殻がしっかり残っていないので資源量は不明。おもしろいことには、津森の沖などでシジミが大量につまった層がある。これは約2000年前、弥生時代にシジミが大発生したことを表している。それはそれまでの環境バランスが大きく変わったことを示している。シジミは海水が多い環境になれば河口域に追いやられ、塩分が低くなれば広がっていくということを繰り返してきたと考えられる。

 

 最後に、未来へ宍道湖の環境、歴史、文化などを引き継いでいくことも賢明な利用の1つではないかとの投げかけで終了した。


お問い合わせ先

環境政策課宍道湖・中海対策推進室

〒690-8501 島根県松江市殿町1番地
TEL:0852-22-6445