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園山議員

(問)体罰について

1.「教育的配慮があれば、教師が児童生徒に一定の『力』を行使しても、やむを得ない場合がある」と判断した最高裁判所判決について、多くのマスコミは、体罰を広く認めたわけではなく個別事例に対する判断を示した判決ととらえるべきと述べているが、この判決についての所感を伺う。

2.社会性を著しく欠く子どもの生活指導までも教師に押しつけ、結果責任を問う現状は問題にすべきであり、教職員への支援を充実させる教育行政のあり方を考える必要があると思うが、所見を伺う。

3.教師の適正評価には、「減点法」ではなく「加点法」の勤務評価が何よりも大切であり、教師がもっと社会から尊敬されなければ、学校教育の充実などあり得ないと思うが見解を伺う。

 

(答)教育委員長

1.体罰に関する最高裁判決についての所感でございます。

 これは、二年生児童が教師から体罰を受けたと主張して損害賠償を求めた裁判であります。

 私が子どもの時代、これはずいぶんと昔のことでありますが、教師は児童生徒からはもとより、家庭からも地域からも信頼と尊敬を集めて、今よりもっと威厳と自信を持って教育に当たっていたような気がいたします。

そうした中で、教師が児童生徒にいわゆる一定の「力」を行使することもさして珍しいことではありませんでしたが、全ての当事者が、阿吽の呼吸のもとに、それを教育的指導の範囲と理解し、よほどのことがない限り問題としなかったように思います。

 少々のことがあっても不問に付すというふうな信頼関係が前提にあったからだと思います。

 もちろん、不当な暴力や体罰などはあってはならぬことであり、また、この判決にあるように児童の身体に対する有形力の行使全てを肯定するものではありませんが、教師の毅然とした態度が教育現場では必要だと思います。

 児童の身体に対する有形力の行使であっても、その目的、態様、継続時間等から判断をして、教員が児童に対して許される教育的指導の範囲であれば法で定める体罰には当たらない場合もあるとした今回の最高裁判所判決は極めて当然・妥当なもので評価すべきだと思います。

 ややもすると、教師の愛情や情熱からなされた行為であっても前後関係が客観的・冷静に判断されずに、まず、教師の側が非難され、責任追及されることが多いことは残念に思います。

 異例のケースとはいえ、本件のように、体罰かどうかで最高裁までの裁判で争われるということ自体、好ましい決着の付け方とは思いません。

 感情的にならず、お互いが寛容の精神のもとに、理解し合い、冷静・円満に解決することが重要だと思います。

 

2.次に、教職員に過剰なストレスが掛からないような支援についてであります。

 本来、家庭で行われるしつけが十分になされずに、社会性が著しく欠ける子どもの生活指導までも一方的に教師に押しつけ、結果責任を問う現状こそ問題であるという園山議員のご指摘には私も全く同感であります。

最近、テレビ、新聞等で見聞きします様々な痛ましい事件、事故について考えるときに、その背景には、家庭環境の多様化とともに、学校教育や子どもの教育に対する家庭の意識・価値観が多様化していること、地域社会においても、人間関係が希薄化し、教育力が低下しつつあることが大きな要因であると思われます。

 こうした中で、学校現場では、様々な教育課題を抱えつつ、教員は休憩する暇もなく、一人ひとりの児童・生徒に向き合っています。

 そして、家庭の教育力が低下する中、本来保護者がなすべきしつけの部分を含めて指導しなければならない現実もあります。

 こうした実情が十分に理解されることなく、何か問題が起こる度に、一方的に学校や教員が悪いとする昨今の社会的風潮にはかなりの違和感を感じ、憤慨さえ覚えます。

 何もかも学校や教員に責任を負わせる形では、教員も疲弊し、つぶれてしまいます。

 教師を孤立させず、教師の人権も守り、教師が過剰なストレスを抱えないように周囲のサポートが必要だと思います。

 教師の方にも、むろん、非難されるべき行為や行きすぎた行動があり、深く反省しなければならない事案も確かに存在しております。

 しかし、教師が、絶えず周囲から、体罰とか、行きすぎ行為と非難・抗議され、常に謝罪を求められ、ましてや裁判沙汰になることがあるということであれば、教師は臆病になり、生徒への注意やしつけを放棄して、事なかれ主義が無難であるという空気になりかねません。

 学校でも生徒に、社会的マナーや他人を傷つけてはならないという常識を教えこまなければならないわけであります。

 教師は、愛情と情熱を持って、自信と信念を失わずに子ども達に接して欲しいと思います。

 私は、教育委員会として、教育現場の実態を理解し、教員を励まし、自信を持たせることも必要であり、それを担保する具体的な支援策が必要であると思っています。

 現在、問題行動を起こす子どもの指導に当たっては、学級担任が一人で対応するのではなく、学校が組織として対応し、子どもや家庭を支援しております。

 また、ケースによっては、学校だけではなく、児童相談所や医療機関などの関係機関が情報を共有し、子どもや家庭の状況をしっかり把握して、それぞれに応じた的確な支援を行っていく必要があると思います。

 私は、子どもの生活指導においては、学校だけではなく、家庭や地域がそれぞれ役割を果たし、相互に補完しながら、相互の理解のもとに、子どもを育んでいくといった意識の共有と自覚・実践こそが重要だと考えております。

 

(答)教育長

3.教師を減点法ではなく、加点法で評価することが必要ではないかというお尋ねであります。

 体罰に関します最高裁の判決は、先ほど委員長のほうから申し上げましたが、一,二審の肉体的に力を加えた場合を形式的な要件として一律に体罰に当たるととした判決を覆しまして、場合によっては有形力の行使もやむを得ないとしたものでありまして、事案は、胸をつかんで、もうするなと強くしかった事例であります。引き倒したり、あるいはたたいたり、あるいは負傷させたりということは伴っていない場合でありますので、私も今回のこの最高裁の判決については、至極至当であって、いわば当たり前の判決だというふうに思います。むしろ、一,二審の判断のほうが余りにも形式要件にとらわれ過ぎているのではないかというふうに思っております。

今回処分をいたしました事案の御指摘がありましたが、やむなく処分に至りました今回の事案でありますが、ハンドルの改造をした生徒のそれを直すようにということで、工具を渡しまして指示をし、その報告を受けたときに、生徒は直しておりましたけれども、その直し方が不十分だということでありました。引き倒して右手でたたいたということで、口の一部が少し切れたというのが事案でありました。この生徒、特に問題行動のあった生徒でもありませんでしたので、教師のほうはこの学校の規律を正すことに大変尽力した教師だということは承知をしておりますが、総合的な判断の中で減給一ヶ月という処分をいたしたものであります。

私はかねがね現在の教育におけるさまざまな課題に対応するためには、まず現場を信頼し、現場の声に耳を傾け、現場を励ますことで教員のやる気を高めていくことが大切だと確信しています。このことについては、校長、教頭をはじめ、様々な教員の研修の中でも、強調しておるところであります。そういう思いから、一昨年度からしまね教育の日にあわせまして、優れた教育活動表彰を始めています。昨年度は、特色ある美術教育、あるいは学校の事務改善、効率化等に取り組む中学校の事務職員など、一六の教職員、学校、教育団体を表彰いたしました。

 また、新規採用教員の辞令交付式では、教育監とともに全員と握手をして、一緒に頑張ろうということで励ましております。

 今年度は初めて新規採用の百七十一名全ての採用者から、決意表明文を提出していただきました。その中には、目指すは日本一の英語教師、目標は大きく、ひとつのことを成し遂げたい。心身の健康に留意し、一秒でも多く生徒と関わる時間を確保していきたい。というふうな決意が書かれておりました。

 こうした教員生活をスタートするに当たっての初心、原点ともいえる精神をその後も持続させ、魅力のある教員になるよう自己研鑽に努め、全人格的に子どもたちと向き合ってほしいと話したところです。

 そうした魅力ある教員を減点法でなく加点法で評価することは、長所を伸ばすことになり、学校現場の意欲が増進し、スポーツや文化活動についてもよい結果につながると思っています。

 頑張っている多くの教職員の姿を広く県民に知ってもらい、学校現場を励まし、支援するような社会的コンセンサスが広がっていくようにしたいと考えております。

 

 

 


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