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杉原通信「郷土の歴史から学ぶ竹島問題」

第15回森潤三郎の『朝鮮年表』について


島根県津和野町出身の文学者に森鴎外(本名林太郎)がいます。彼は朝鮮の歴史にもくわしく、朝鮮通信使を題材にした『佐橋甚九郎』という作品も書いています。

鴎外には2人の弟と1人の妹がいました。末弟は潤三郎といい、鴎外とは17歳の年齢の差がありました。その潤三郎が、現在の竹島が島根県の所属と明治政府から告示される前年の明治37年(1904)に、『朝鮮年表』という著書を刊行しています。

潤三郎は明治12年4月15日に誕生しました。姉の喜美子までは津和野で生まれていますが、森一家が東京に転住した後、東京の向島で誕生しています。東京の中学校を卒業後、明治34年彼は東京専門学校(現在の早稲田大学)史学科に入学し、在学中の明治37年に『朝鮮年表』を執筆、刊行したのです。

卒業後、東京帝国大学史料編纂掛(現在の東京大学史料編纂所)に嘱託として3年間勤務し、田中文学博士の下で主に南北朝時代の史料の解読にあたりました。その後、兄鴎外の友人であった京都帝国大学教授上田敏の紹介で京都府立図書館の事務取扱の職を得、京都で長く生活しました。仕事のかたわら歴史の研究や各種雑誌の編集にもあたりました。

古書の収集家としても知られ、特に朝鮮通信使関係のものは百余種にのぼり、兄鴎外にも影響を与えました。朝鮮への関心は強く、朝鮮へ渡って働くことも考えましたが、健康上のことから鴎外が反対し実現しませんでした。

さて、『朝鮮年表』ですが、316ページのコンパクトな本で、驚嘆するのは参考文献の多さです。特に朝鮮関係は知己の幣原坦が京城(現在の韓国ソウル)で韓国政府学部学政参与の職にあり、日本にない資料を数多く提供しました。この本の序文も幣原が書いています。

本の内容は、序説で朝鮮の地理と歴史を素描し、本論は日本、朝鮮、中国を3段にして西暦紀元前57年から紀元後1903年までを各国の元号、天皇、国王、皇帝名を入れた年表となっています。その後には「日韓交通年表」として、年号順に日本と朝鮮間の交流の歴史が記述されています。そして最後に日本と朝鮮の交流の担い手であった対馬藩主宗氏の系譜をまとめています。

この本で私が一番注目したのは、所々に掲載されている「朝鮮全図」という地図です。時代によって地名等の変化が確認できますが、特に鬱陵島については島名が次々変わっているのです。

最初の地図の鬱陵島には于山の島名があり、次は島名なし、その後は鬱陵島、竹島、松島の順で、最後の折り込みの附図(縦42センチ、横25センチ)には鬱陵島(松島)とあります。これらの全ての「朝鮮全図」に現在の竹島は描かれていません。森潤三郎の「現在の竹島は日本領」とする認識が、これらからうかがえます。竹島が島根県の所属になる前年に刊行された『朝鮮年表』は当時の諸問題を間接的に教えてくれます。

なお、『朝鮮年表』刊行の前後の鬱陵島の呼称について最近ご教示いただいたものに、明治35年刊の『教科用韓国略誌』、明治42年『最近韓国事情要覧』、明治43年『韓国南満州』があります。それぞれに「鬱陵島(于山島即ち松島)」、「鬱陵島(松島)」、「鬱陵島は日本名を松島と云う」とあり、潤三郎の認識の正確さを補強してくれています。

                 森潤三郎

 父親の1回忌(明治30年)の家族写真:左端が潤三郎、右端が鴎外(森鴎外記念館所蔵)


(主な参考文献)

・森潤三郎『朝鮮年表』有明書房昭和61(1986)年

・森富「森潤三郎小伝」『鴎外』77号森鴎外記念会平成17(2005)年7月

・苫木虎雄「森潤三郎−歐外先生の末弟−」『郷土石見』24号平成元(1989)年

・野口保興『韓国南満州』成美堂明治43(1910)年

・『教科用韓国略誌』瞬報社明治35(1902)年

・『最近韓国事情要覧』統監府明治42(1909)年

・『日本近代文学大事典』第3巻講談社昭和52(1977)年


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