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山陰道(1)

山陰道I(伯耆街道)
 

山陰道(1)について
参勤交代の行列が往復した山陰道  古代律令制の日本では京の都を中心に五畿七道(ごきしちどう)の行政区画が整備され、古代山陰道の場合は丹波・丹後・但馬・因幡・伯耆・出雲・石見・隠岐の八か国をいい、これらを結ぶ道も山陰道といいました。
このガイドブックで紹介する道筋は、古代山陰道が時代とともに移りかわり整備されてできた江戸時代の山陰道の一部で、松江から出雲と伯耆の国境部分にかけての通称「伯耆街道」(伯州街道)と呼ばれていた道です。
江戸時代になると山陰道は経済・文化などの発達とともに整備されてきましたが、江戸幕府による参勤交代も街道を整備する大きな力となりました。1年ごとの江戸への往復のために、街道沿いに宿駅(中継点)、本陣(大名の宿舎)、御茶屋(大名の休憩場所)がおかれ、町として栄えるようになりました。
宿駅は出雲郷(あだかえ)・荒島・安来・吉佐(きさ)の4か所に置かれ、特に安来は伯耆からの入口の本駅として、ほかの3駅は間(かん)駅として位置づけられました。また、藩主が休憩に利用する御茶屋は参勤交代の時には本陣にもなりました。この他津田・出雲郷・安来・吉佐に番所が、出雲郷・荒島・安来・吉佐に命令・伝達の札を立てる制札(せいさつ)所がおかれました。また西津田・東津田・出雲郷など道の両側の松並木は敵が攻めてきた場合には松を切り倒し障害物にする目的もあったといわれています。
松江城下を出発した参勤交代の行列は、まず西津田と東津田の桜馬場の御茶屋でかごをとめ、出雲郷の御茶屋で昼食をとり、下意東と荒島で再びかごを止めて小休憩した後、安来の御茶屋を第一夜の宿にしました。翌日、安来を出発した一行は細井坂と吉佐で小休憩をした後、江戸へ向かったのです。

 

歴史の道イメージイラスト

 

歴史の道探索上の注意
  1.サンダル、スカートなどの軽装は控えましょう。
2.道路や線路などの横断には充分注意しましょう。
3.公道や民家などに駐車しないようにしましょう。

 


 

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