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銀山街道
世界へ輸出された石見銀
 石見銀山は、1526年(大永6)に博多の豪商神谷寿禎によって開発されて以来、約400年にわたって採掘されてきた日本有数の鉱山です。特に16〜17世紀の約100年の間には大量 の銀が採掘され、大内氏、尼子氏、毛利氏といった戦国大名の軍資金や江戸幕府の財源として使われました。また、海外にも数多く輸出され、中国や朝鮮半島などのアジア諸国とポルトガルやスペインなどのヨーロッパ諸国を交易で結ぶ役割の一端を担いました。17世紀前半には世界の産出量 の3分の1といわれる日本銀のうちのかなりの部分を石見銀山で産出していたと考えられます。

歴史の道イメージイラスト

大森からはじまる銀の道
 石見銀山から産出された銀鉱石は、当初大田市仁摩町馬路から積み出されていましたが、毛利氏の支配下になると、温泉津が銀の積み出し港として銀山と温泉津を結ぶ「降路坂」を越える街道が整備され、銀の輸送や物資の搬入がおこなわれました。
 慶長5年(1600年)9月、関ケ原の戦いが終わると石見銀山は徳川幕府の支配下に入り、初代の銀山奉行として大久保十兵衛長安を重用し、積極的に開発をすすめました。慶長中期(1608年ごろ)以後、銀の輸送は海上輸送から陸路輸送に切り替えられ、新たに広島県尾道までを結ぶ銀山街道が整備されました。大森を出発した銀は荻原からけわしい「やなしお道」を抜けて粕淵、九日市、酒谷を経て赤名峠を越え、尾道まで運ばれた後、瀬戸内海路で大坂の「銀座」に集められたのです。
 温泉津から銀山へ抜ける「降路坂」と大森から粕淵に抜ける「やなしお道」は険しい山中を越える難所でしたが、現在は中国自然歩道として整備され、ハイキングコースになっています。

 

  歴史の道探索上の注意
1.サンダル、スカートなどの軽装は控えましょう。
2.道路や線路などの横断には充分注意しましょう。
3.公道や民家などに駐車しないようにしましょう。


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