砂防事業(土石流対策)の概要

砂防事業の経過

 本県の砂防は、明治44年那賀郡二宮村において、山腹工(杭柵工、苗木植栽)に着手したのが初めであるといわれていますが、資料がなく定かではありません。昭和9年9月全国的に猛威をふるった室戸台風の襲来により、斐伊川、高津川流域の被害が甚大で、特に斐伊川水系大馬木川流域は、多量の流出土砂により堤防は皆無に等しく決壊し、一面河原化となり大小渓流は完全に埋没しました。
この被害を契機に、昭和10年大馬木川流域の荒廃渓流復旧のため、床固工を主体とした工事に着手し、砂防事業の第一歩をしるしたのです。また、昭和14年斐伊川水系山郡川で、土砂生産抑制の砂防ダムを初めて施工し現在に至っています。
斐伊川流域は、出雲風土記時代より山腹を切り崩して流水により砂と鉄を分ける「鉄穴流し」の方法で、良質の砂鉄採取が行われ流域の荒廃を手助けしてきました。そこで建設省では、斐伊川砂防第1次五箇年計画(昭和25〜29年)を策定し、昭和25年度より直轄砂防事業でダム工5基、床固工3基を完成しました。
本県の地質は、全域が特殊土壌地帯に指定されているとおり、脆弱な地質で構成されており、また県内河川のほとんどが短流、かつ急流であることも加わり、山崩れ、渓岸侵食による荒廃地が多いため、安全で快適な生活基盤をつくるため砂防事業の果たす役割は重大で、自然環境や景観に配慮しながら事業の促進を図っています。

 

砂防えん堤

梅木谷川1梅木谷川2

梅木谷川砂防堰堤(平成25年度~平成28年度)

 邑智郡川本町川本

・透過型堰堤H=7.5m,L=34.6m

・渓流保全工L=150.2m

事業効果:小学校、病院、県道の保全

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