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6月30日質問項目9

9.教員不足

○NHK:NHKの奥野と申します。よろしくお願いします。

 

○丸山知事:お願いします。

 

○NHK:まず、教員不足についてお伺いします。

 先ほども少し志望者が減っているという危機感をという言及がありましたし、今回の議会でも質問が出て、知事もその中で、現状の対策、対症療法でしかないというような発言もあったかと思いますが、全国的に県内も含めて生じているこの課題について、国が取り組むべきこと、主導してやっていくべきことと、国への働きかけも含めて、県としてどのように進めていきたいと考えていらっしゃるか、お伺いできますでしょうか。

 

○丸山知事:基本的には教員不足というか、学校の先生の働き方改革を通じて、過度な、多忙感を解消していくと、多忙な状況を解消していくということ、一番は恐らく、ちょっと我々の側に甘えがあるかもしれませんけど、子供さんに向き合う時間を増やしていけるようにしなければいけないんじゃないかと。直接的な子供さんに向き合う時間が長くてへとへとしてるというよりは、それ以外のことで時間を取られ、なおかつ子供さんにも向き合えないというところが、学校の先生になろうと思ったときの自分の理想と現実とが大きくかけ離れているということになると、それはやっぱりモチベーションは下がるし、そういう状況を見聞きする若い人からすると、志望、それはだって、教育実習とかで見るわけでしょ、免許を取ろうという若い学生さんはね。そういう状況を実際見るわけですから、そこを改善していかないと、自分が学校の先生になっても、こういう感じで空回りする、時間をたくさん取られて、忙しい毎日を送らなければいけないのかなと、充実感が低くて徒労感が強い多忙というのは一番きついわけです。ちょっと私は前近代的だけど、ちょっときつくても、充実感があれば何とか乗り切れたりすることがありますけど、両方ないとしんどいでしょう。だから、まずは多忙感というか、多忙な状況を改善していくためにできることは何かということで働き方改革を進めていく。そして、定額で残業の上限がないみたいなということが待遇としていいのかどうかという待遇の問題を改善していく、この両面からやっていくんだと思いますけど、特に前者ですよね、前者はともかく、私は学校の現場で起きてることの中で、学校の先生が自分がやらなければいけないのかなと思ってる仕事をほかに代替するとか、そもそもなくしていくという仕事が共通してあるところというのを県として、県教委として音頭を取って、市町村教委になくしてもらうように一緒に取り組んでいくということが、これ現場対応だと思います。

 厳密に言うと、小・中学校の学校の先生は県が採用しますけど、働いてもらう働き方、日々の服務、監督、どういう仕事をしてもらうかというのは、これは市町村教委なんです、学校に配属しますから。だから市町村教育委員会とか市町村の小・中学校のところでそういう具体的な改善がなければ、いかに、言ってみれば採用活動を早くするとか、採用活動を何かイベント仕立てにするとかというのは、ある意味、対症療法なわけですよね。本質的に仕事が楽しいですよ、プライベートとも両立できますよという状況をつくっていくには、現場を直していく。現場を直していくということですけど、現場だけでは直せないことがたくさんあるので、全国で共通して発生してることっていうのは、これは全国でつくられている制度が起因しているんじゃないかというふうに考えなければいけない。それは政府に求めていく。

 だから、これはあんまり、県議会で誰も言ってくれませんけど、私は今の学習指導要領が中身を盛り込み過ぎだと。絶対そう思います。絶対そうです。本当にうちも、何度も言わせてもらうけど、分かりやすい例だけど、私は、日本史で、当時の共通一次試験も大学の二次試験も受けましたけど、山川の「日本史」という教科書でしたけど、山川の「日本史」という教科書は、私が使ってたやつと、今、大学3年かな、大学3年になってる22歳の次男が使ってた教科書、厚さは変わんないです。厚さは変わんないけど、資料の読解力とか思考力とか、そんなことまで問われてるわけですよ。だから、勉強、知識偏重をやめたと言ってるけど、教科書で求めてる知識は変えてないんです。だから結局どこも、試験としては出得るわけですよ。だから問題の範囲を、知識の範囲を減らしたけど、そこに対応するために勉強しなければいけない量は変わってないわけですよ。別に資料を分析するとか、そういうさらに高度なことを求めるから、余計難しくなってるわけです。

 私は、この時代に生きていたら、同じ学歴は得られてないと思いますよ、こんなハードル上げられたら。あれもできなければ駄目、これもできなければ駄目。英語も話せないといけないっていうことはない、聞けなければ駄目だとかさ。私は、そんな英語なんて触れる環境になかったから、英語のリスニングなんか、たしか大学の受験にあったけど、こんなもん0点だと思って勉強しましたよ。そんなとこまで求められたってできないんだもん。昔はだって、カセットテープで聞かなければいけないような、そんな世界だよ。そんな日常にネーティブな英語なんか流れてないんだからさ、そんなの求められたって、できやしないんだ。

 なので、知識偏重をやめたと言ってるけど、知識を偏重しなくなっただけで、ほかのことをいっぱい求めて、勉強しなければいけない量は2倍ぐらいに増えて、その挙げ句に早期教育みたいな話になって、小学校の高学年ぐらいから塾に行ってないと難関大学の入試に対応できないとか、または難関大学の入試に対応しなくていいために早く中学校とか高校の段階で大学の附属校に行こうみたいな、そんな競争の世界になってる。挙げ句の果てに私立の、いわゆる難関大学と言われるところの正規の試験の割合というのはぐっと狭まって、その結果、普通の試験で合格できるラインというのはむちゃくちゃ上がってる。何のための大学入試改革なんだと。こつこつ勉強して受かるほうがまだよかったんじゃないかと私は思うんです。そんなもうね、という。

 だって本当ね、今のは、名前変わったけど、センター試験で数学の大問、丸ごと1問解けないなんていうことが続出するわけですよ。分かりますか。50点取れなかったら人生変わるんですよ。こつこつ勉強してたって解けないような問題を全受験生に課すなんて、そんなので人生左右されたらかなわんわけだ。そんなことをもう何十年もやってきてるって、私からすると信じられない。私は、長男の試験問題、長男が大学入試をするときに、こんな難しくなってるのかと、センター試験、センター試験って言ってるから、私は、そんなもん、共通一次試験と同じだと思ったから、そんなんでがたがたして何やってんのかなと思ったら、何のことはない、私が解いても全然解けないわけです、全くね。こんな難しいことをやらされてたら、それはかなわんですよ、本当に。だって、普通は、私の時代だったら、難しい問題といっても大問の1、2、3、数学でですよ、大問が1あって、小問で枝から(5)まであって、(5)とかが難しいとかって、そんな世代ですよ、(5)とか(4)が。1から解けないなんていうのは、それは二次試験でやるべき問題だ、二次試験でやるべき。こつこつした努力が報われないような試験をやってたら、こつこつ努力する人いなくなっちゃう。

 でも、こつこつ努力する人なんか、もう日本は要らない、求めてないのかもしれないけど、私はそんなことをやってるから、大阪の高校の無償化も大事だけど、高校の授業料が高いから教育費が高いと言ってるわけじゃないんです。それ以前の小学校の高学年から塾に行かせなければいけないなんていうのが相場になってるような地域が、三大都市圏を中心にたくさん発生してる。それなりの給料を取ってると言われてる人たちはみんなそんなことをやってる。そういうことができる家庭とできない家庭に分かれてる。もう社会の二極化が大都市部では始まってるわけでしょ。そんなところで……。まあそういうことです。

 だから、教育の中身を見直さないと、教育にお金がかかるとかという話は直らないと思いますよ。だって、申し訳ないけど、そんな今のセンター試験みたいな問題、解けなくたって県知事はできるわけ。基礎、基本ができればできる。私がコロナ対策で、私のコロナ対策が偏ってると言われるけど、コロナ対策というのは教科書のない世界で仕事する世界でしたけど、何だかんだ言ったって、もうほとんど、95%は本当に義務教育の中で、小学校、中学校までに習ったことで対応するんですよ。5%は指数関数。指数関数だけです、高校以上の知識が必要なのは。だって、難しい論文読めないもん。難しい論文をまとめてもらったものを読解する能力があればいい。でしょ。そんな論文を原典で英語から読むことはできないんだから。それはできる人か周りにいてくれればいいけど、何というか、分かんないけど、まあそういうことで、ともかく天才を育てようとか、片仮名で言うとエグゼクティブとか、何かアントレプレナーとか、ああいう片仮名、もう大体片仮名のやつって、ろくでもない話なんだよね。日本語で表現できないような、もう何かをごまかして、何かそれらしく見せてるような、そんなものを目指して教育をやってたら日本がおかしくなる、おかしくなりつつあるんじゃないかと私は思ってます。

 そういうところについては、県議会と認識が一致しないと思いますので、それは個人でやることになるかもしれません。私は、自分の経験と子供たちの受験の状況を見てる限りは、何かもう今の子供たちはかわいそうだなというふうに思うんです。昔は知識偏重だと言われてたたかれましたけど、でも、知識だけのほうがよほどよかったんじゃないかと。知識だけのほうがまだ。知識も減らされずに、知識の偏重はやめましたといって、ほかの能力問われて、ほとんど詐欺みたいだけどね。知識偏重をやめたって言ったら、知識の分量を減らしたのかと思ったら、減らしてないんだもん。相変わらず何か、仏像の名前を覚えたりしなければいけないわけですよ。日本史で文化を勉強した人がいたら申し訳ないですけど、そういうことをしながらいろんな能力まで、知識じゃない能力まで求められるってなっちゃうと、で、情報が大事だって、情報という科目をつくって共通試験に追加しようとか、学問領域が確立してないのに科目をつくってやろうとか、英語を文法を教えずに小学校から教えようとか、何かもうほとんど壮大な実験だと思うんです、教育学的に言うと。そんなことを公教育で一遍にやるなんて、何かばくちが過ぎると思うんだよね。その時間で、そういう教育でうまくいかなかったらどうするつもりなんだと。いや、本当に、ネーティブでもないのにネーティブシャワーで英語しかしゃべれない、そういう何か月間を過ごせるような、そんな教育上の余裕があれば、そういう実験をする手もあるかもしんないけど、週に2日3日ネーティブのようにやりましょうで本当に英語が習得できるのかな。言いたいことは山のようにあるんですけど、これぐらいにしときます。

 でも、事程左様に抽象論じゃなくて、具体的にやっぱり直していかないと駄目だと。そういうことを、小学校で英語を教えましょうとか、高校で情報の授業をやりましょうとかっていうのがいきなり天から降ってきて、学校現場で対応してるわけですよ。ICTで1人1台パソコンにしたって、1人1台パソコンを置くっていうのは決まってはいたけど、別にそれをリモート授業をやろうなんていうことは決まってなかったわけです。コロナが入ってきたら、いや、リモートもできるんじゃないかというふうに要求水準が上がって、リモート授業の準備をしたこともない人たちがリモート授業をやって当たり前だというふうに言われて、何か学校の先生が準備してきたと。でも、授業でパソコンを使う、タブレットを使って授業をするという話と、リモート授業をやるという話と、全く別ですよ。教科書も置いて。そもそも授業をどうするか、教科書とノートしかない中でやる授業と、タブレットを組み合わせてやる授業は、授業をやるというやり方を根本的に変えなければいけないし、今までやってたことが無価値になるような、そういうことなんですよ。構成を変えなければいけない。それを補おうと思うと、教科書会社が作ってるオプションのソフトとかを買えば、ピッと押して何か簡単にできるようになるんだけど、それは有料なわけですよ。そんなもんまでついてないわけです。

 だから、そういう東京の議論で、何かこれいいんじゃないのとかといって、中央教育審議会なるもので検討してオーケーをもらってるんだろうけど、何かそこらが決めたからといって、ひょっと下りてきて、そんなことに学校の先生たち、対応せざるを得ないわけでね、それは大変なので、そもそも文部科学省自身が改めるべきところを改めないと駄目だと思いますよ。なぜならば、教員不足は全国で起きてますから。基本的に文部科学省の制度設計の問題が多分にあるというふうに疑わざるを得ない。それはもう明らかでしょう。だって全国で起きてるってことは、全国の仕組みに問題があるということですよね。すみません。

 

○NHK:ありがとうございます。教育全般にまで言及していただいてありがとうございました。

 

○丸山知事:ちょっと聞いてないことを答えたかも。すみません。

 

○NHK:とんでもないです。

 


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