輝々(キラキラ)しまね・つくるはぐくむ地域ブランド10

武者姿で松江をPR(松江市)

本間亀二郎(ほんまかめじろう)さん:まつえ若武者隊隊長

森脇良和(もりわきよしかず)さん:まつえ観光創造研究所代表


地域の魅力を磨き上げ、キラキラと輝く島根のブランド。全国から注目を浴びる県内の取り組みを紹介します。


解散を乗り越え続く武者の「おもてなし」

「遠いところから、よう参られた!」。甲冑(かっちゅう)姿で出迎える武者。松江城で観光PRをしながら、おもてなしをする「まつえ若武者隊」の本間亀二郎隊長です。この日も求めに応じ、城をバックに記念撮影。外国人観光客は「Thank you!」と笑顔を見せます。


「毎年が正念場」と言いながら松江城で観光客をもてなす「まつえ若武者隊」の(左から)忍者月照さん、本間亀二郎隊長、堀川茶々丸さんの写真
「毎年が正念場」と言いながら松江城で観光客をもてなす「まつえ若武者隊」の(左から)忍者月照さん、本間亀二郎隊長、堀川茶々丸さん


任期終え一度は解散

まつえ若武者隊は、平成19~23年に開かれた松江開府400年祭の最終年を盛り上げようと、松江市が企画。隊員を公募し、平成23年1月に山陰両県出身の10~30代の男性5人で結成しました。最初は覚えることばかり。重さが約20キロになる甲冑を付けるのも一苦労でした。殺陣師の演武指導や劇団員による発声練習。これらを約2カ月でマスターし、いよいよ活動が始まりました。

松江城のステージに向かい武者姿の5人が歩くと、観光客は「なんだ、なんだ」と興味津々。日中は城で武者になりきり観光客と写真を撮ったり、ときには県や市の観光啓発活動に同行したりし、松江の観光振興に一役買いました。市内の保育園、幼稚園に呼ばれ、子どもたちの前で演武をすることも。しかし、若武者隊の活動は期間限定。はじめから1年間と決められていました。

解散時期が近づくと、若武者隊の地域への貢献ぶりを知る人たちから、存続を求める陳情書が市議会に提出されるほどでしたが、存続はかないませんでした。


武者で観光を創出

当時、サポートスタッフとして若武者隊のマネジメントや、ステージ運営などを担当していた森脇良和さん=現・まつえ観光創造研究所代表=は、1年間にわたり培ってきた武者としてのノウハウが無駄になってしまうのが残念でならなかったといいます。

そこで、解散してバラバラになったメンバーを一人一人訪ね、「若武者隊を残したい。食えるかどうか分からないけど、やってみないか」と声を掛けてまわったのです。生活を保証できない中での提案でしたが、4人が賛同してくれました。その一人の本間さんは、その時の森脇さんの姿をはっきりと覚えています。「目線を落とし悲痛な表情でしたが、言葉には重みがありました。彼がサポートしてくれたから活動ができた。その思いに応えようと決めました」

森脇さんを含む5人は、平成24年1月下旬に任意団体「まつえ観光創造研究所」を設立。“お抱え”ではなくなったことから「浪人組」を名乗りました。本間さんは「武者でのPRは間違っていない。ここで終わったらいけない」と自分を鼓舞し、仲間とイベントに出演し続けました。


頑張ったところに追い風

自力で観光振興に取り組む同研究所の姿勢に賛同した松江観光協会は、平成24年度に活動の支援を決定。木刀とはかま姿の「浪人姿」に甘んじていましたが、復活後は観光協会が所有する甲冑が使用できるようになり、ついに「若武者隊」が復活しました。

平成27年に松江城天守が国宝に指定されたことも追い風に。全国で12しか現存しない天守を見ようと多くの観光客が訪れました。何よりも、松江市民が関心を高め、知人などを連れてくるようになりました。

現在は居合術を学ぶ堀川茶々丸さんによる「刀学」など、週末を中心にイベントも開催。森脇さんは「国宝になる前にあきらめていたら、今のように多くの観光客を案内することはできなかった」と言います。松江を観光で盛り上げたいという熱意がある限り、若武者隊の「おもてなし」は続きます。


再生のキーワード

  • 松江観光を盛り上げる熱意
  • 松江城天守の国宝化

外国人観光客に人気の武者と忍者の写真
外国人観光客に人気の武者と忍者


観光客対象の「まつえ城学」では指南役になる様子
観光客対象の「まつえ城学」では指南役になる


平成27年の松江城天守の国宝化が活躍の場を広げた様子
平成27年の松江城天守の国宝化が活躍の場を広げた


「まつえ若武者隊」のグッズの写真
「まつえ若武者隊」のグッズ



●問い合わせ先
まつえ観光創造研究所

 

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