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実事求是〜日韓のトゲ、竹島問題を考える〜

第12回

「東北アジア歴史財団」と「韓国海洋水産開発院」の誤解

 

 2008年2月、外務省は小冊子「竹島問題を理解するための10のポイント」を刊行し、韓国側には竹島の領有権を主張できる歴史的権原がない事実に言及した。これに対し韓国側からは「東北アジア歴史財団」、「韓国海洋水産開発院」等の反論があったが、外務省の見解を論破するには至らなかった。これには重大な意味がある。韓国側は、竹島が韓国領であることを実証できないまま、不法占拠を続ける実態を逆に証明してしまったからだ。

 これまで韓国側は、竹島を六世紀以来韓国の領土とし、その論拠を『東国文献備考』の分註(「輿地志に云う、欝陵于山皆于山国の地。于山は倭の所謂松島なり」)に求めてきた。

 だが外務省の小冊子では、その分註が後世の捏造である事実に触れ、竹島を韓国領とする歴史的根拠を崩したのである。従って、韓国側としては、『東国文献備考』の分註について、文献批判を通じて傍証を挙げ、反証すべきであった。しかし韓国側は、竹島の領有権を主張する論拠が崩されたにもかかわらず、その最も重要な争点には触れず、勝手に論点を作っては、それを反論と称しているのである。

 「東北アジア歴史財団」では、「欝陵島から竹島が見えるので、竹島は韓国領だ」と主張しているが、それは『世宗実録地理志』(「蔚珍県条」)の「見える」を欝陵島から竹島が「見える」と恣意的に解釈しただけである。事実、それは『世宗実録地理志』の当該記事を詳述した『新増東国輿地勝覧』によって確認ができる。『新増東国輿地勝覧』では「見える」の内容を記述し、欝陵島を管轄する蔚珍から欝陵島の「峯頭の樹木及び山根の沙渚」が「見える」としているからだ。この解釈は、18世紀中葉の『輿地図書』や金正浩の『大東地志』等でも同じである。朝鮮時代の学者達が、蔚珍から欝陵島が「見える」と読んだ記事を、敢えて欝陵島から竹島が「見える」と曲解する意図は、どこにあるのであろうか。「東北アジア歴史財団」の反論は、歴史研究の常道を逸した政治的プロパガンダに過ぎない。

 文献が読めていないという点では、「韓国海洋水産開発院」も同類である。「韓国海洋水産開発院」の場合は、上述の外務省の小冊子で、捏造とされた『東国文献備考』の分註を根拠とし、「于山島は竹島」とする前提で文献を解釈している。だが于山島が竹島であった事実を実証できなければ、「韓国海洋水産開発院」の反論は妄言でしかない。

 その事実を端的に示しているのが、ネット上で紹介されている「独島守護士気」の見解である。そこでは日本側の主張を紹介し、韓国側が論拠としてきた『東国文献備考』は、申景濬の『彊界誌』を底本とし、その申景濬の『彊界誌』もまた李孟休の『春官志』を剽窃したものと伝えている。それに『東国文献備考』の分註に引用された柳馨遠の『東国輿地志』には「一説に于山欝陵本一島」と記されており、「于山は倭の所謂松島なり」とは記されていない。『東国文献備考』の編纂過程で、引用文が改竄されていたことは明白である。

 だが残念なことに、「独島は韓国領」とする歴史認識で文献を解釈する韓国側には、申景濬の『彊界誌』や李孟休の『春官志』に対する文献批判がどれだけ重要なのか、理解が出来ていないようである。日本側が竹島の領有権を主張し続けるのは、歴史的根拠がないまま、韓国側が日本の固有の領土である竹島を不法に占拠し続けているからである。

(下條正男)


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