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石見銀山(遺跡)とは

歴史の生き証人

稼動時の銀山を知る生き証人、石賀末太郎さんは語る

石賀さん
石賀末太郎さん
大正7年生まれ、大森町在住。昭和18年頃の石見銀山で測量技師として就業。稼動時の石見銀山の様子を知る貴重な生き証人。
(大変残念ながら平成25年7月にお亡くなりになりました)

聞き手

石賀さんはいつ頃坑道に入ってらしたんですか?

石賀

あれは兵隊から帰りまして、昭和18年から坑道に入りました。

聞き手

どんなお仕事をなさっていたんですか?

石賀

仕事は測量ですから、トランシット持ったりレベルを提げたりして坑道に入ってました。中は枝葉(のような坑道)がいっぱいあるので、こっからこう掘ったらどこへ行くとかの測量です。

聞き手

何を採っていたんですか?

石賀

やっぱり銅ですね。金も混じっていたかも知れませんがほとんど銅です。今は水源地になってますが、蔵本坑から入って行きました。ずっと坑内を奥に入って、山神さんのお宮(佐比売山神社)の下の方へ行っとるんです。それが蔵本坑道と言うんです。それから今度は下へ縦坑があって三段階に降りるんです、梯子で。

聞き手

何人くらいの人が入っていたんですか?

石賀

坑内に入っていたのは70〜80人くらいでした。あのころの事務所は30人くらいでもおりましたかね。

聞き手

閉山になったのはいつですか?

石賀

昭和18年に水害があったですから20年です。大正時代に鉱石が無いと言うことで休山になって、戦時中に銅が必要になって12年にまた堀りだした。私は18年にもどって、なんぼもおらんかったですが、入っているのは私ぐらいでしょう(他の方は亡くなった)。中は龍源寺間歩どころではないですよ。たまげるような広い場所があります。縦坑の機械の座っていた所は、そりゃあ広いです。

聞き手

縦坑の幅はどれぐらいあるんですか?

石賀

そう広くはないですね、二畳敷きくらいです。ランプをぶら下げて梯子で降ります。降りて行ってまた降りて行って、30mずつになってます。100m下に大きな本坑道があります。それが今度は永久坑道に行っとります。山吹城の裏ですわ。それまでずっと行きよったです。500なんぼ坑道がありますが、その中で一番長い坑道です。1500mあります。昔は龍源寺間歩とも通じとったです。それで龍源寺間歩にも下に向かって縦坑があって100m下に永久坑道がある。龍源寺間歩の図面も私が見せてあげました。教育委員会にね。

聞き手

良かったら見せて下さい。・・・これは龍源寺間歩で展示されているものですね。

坑内実測図間歩内部



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