島根この100年昭和元(1926)年〜昭和20(1945)年
満州事変、日中戦争の勃発と日本は戦争へと進む。厳しい時代にあっても、ラジオ放送の開始、水上機による松江−城崎間の定期航空路開設など、画期的な出来事があった。人々は、さらなる発展に大きな期待を寄せた。
しかし、やがて太平洋戦争へと突き進み、島根県もその戦禍から逃れることはできなかった。米や衣料の配給、県内への爆撃、そして終戦……。
日常は耐乏との戦いでもあった。
末次大火
昭和6年5月に松江市で起こった末次大火で、600戸以上が焼失し、焼け野原となった松江市の中心街
松江市営バス
昭和4年、松江市営乗合自動車が営業を開始。当初は16人乗りバス13台で7路線を運行した
西郷港
戦前の西郷港の風景。川沿いにかわらぶきの家々が建ち並ぶ
浜乃木競馬場
乃木村(現松江市)の浜乃木競馬場で昭和4年10月に第1回競馬を開催。6年秋には馬120頭、騎手46人に達したが、その後は、発売高が下降し12年の春季競馬が最後となった
松江−城崎間定期航空路
昭和8年7月、松江−城崎間160キロに定期航空路が開設された。水上飛行機を使い、話題となったが、12年に廃止された
街並み
古くから浜田の中心だった新町商店街の昭和12年ごろの様子。少年赤十字団の生徒が交通整理をしている
竹のぼり
小学校にあった竹製の遊具で遊ぶ子どもたち。昭和20年、平田市で
開墾作業
第2次大戦中は食糧確保のため、わずかな空き地や山も畑にされた。写真は、田所村(現瑞穂町)で開墾作業に当たる青年学校の生徒
金属供出
昭和17年、軍需品の原料として金属回収が始まり、寺の梵鐘(ぼんしょう)や橋の擬宝珠(ぎぼし)、銅像にまで及んだ。写真は松江市内で集められた寺の梵鐘
缶詰工場
浜田の缶詰工場の昭和15年ごろの作業風景。缶詰工場は明治25年に始まった
学校教練
戦時教育の一環として、戦時中は中等教育の中に教練という学科があり、将校により軍事教育がなされた
年号 | 事象 |
---|---|
1926(大正15)年 (昭和元) |
若槻礼次郎、内閣総理大臣として組閣 郡役所・島庁・郡長・島司を廃止 |
1927(昭和2)年 | 松平家、松江城址を松江市に寄付 松江白潟大火、350戸焼失 リンドバーグが大西洋横断飛行成功 |
1928(昭和3)年 | 農繁期託児所設置の県令 |
1929(昭和4)年 | 第1回松江水郷祭開催 松江、浜田にも競馬場開設 松江市営乗合自動車が営業を開始 ニューヨーク株式市場で大暴落、世界恐慌始まる |
1931(昭和6)年 | 第2次若槻内閣 松江市末次大火、628戸全焼 柳宗悦来県、島根の工芸診察の旅を行う。民芸運動起こる 満州事変 |
1932(昭和7)年 | 松江放送局JOTK開局 国際オリンピック(ロサンゼルス)で100m吉岡隆徳6位、マラソン津田晴一郎5位 5・15事件 日本橋白木屋で初の高層建築火災 |
1933(昭和8)年 | 山陰線全通 水上機による松江〜城崎間定期航空路開設 小泉八雲記念館を松江市に設立 |
1934(昭和9)年 | 県立健康相談所を松江市と浜田町に開設 松江新大橋(2代目)完成 |
1935(昭和10)年 | 県物産奨励館開館 大阪〜大社間急行列車運転開始 |
1936(昭和11)年 | 松江〜大阪間定期航空開業 2・26事件 |
1937(昭和12)年 | 松江市中原大火、252戸焼失 松江大橋(現松江大橋)完成 木次線全通し、芸備線と接続 日中戦争 |
1938(昭和13)年 | 満蒙開拓青少年義勇軍募集の通牒。県から初の義勇軍出発 |
1939(昭和14)年 | 戦時食糧充実運動(7分搗米、代用食、混食)開始 第2次世界大戦始まる |
1940(昭和15)年 | 松江測候所創設 日独伊三国同盟調印 |
1941(昭和16)年 | 松江銀行と米子銀行が合併して山陰合同銀行発足 県、保健所10カ所設置 米穀通帳制配給が始まる 日本軍が真珠湾を攻撃、太平洋戦争始まる |
1942(昭和17年) | 松陽新報と山陰新聞両社が合併して島根新聞社設立 県の東京出張所開所 衣料配給切符制実施 県下各地で寺院の梵鐘供出始まる |
1943(昭和18年) | 県費半額支弁で市町村に保健婦設置を定める 大風水害で死者400余人 |
1944(昭和19年) | 各女学校に女子挺身隊結成 松江商業報国隊員2500人、三井造船工場に就業 米軍機、県東部に初めて来襲 |
1945(昭和20年)
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国民義勇隊県本部設置 県、戦時緊切要務に備え学徒隊結成 建物疎開始まる 米軍機、八束郡で爆撃。玉湯で海軍兵舎と待避中の列車を銃爆撃 皇国義勇軍事件、県庁舎焼き討ちされる 米占領軍、松江、出雲、浜田の3市に進駐 松江市、浜田市の衛戍(えいじゅ)病院がそれぞれ国立病院として再開 広島、長崎に原爆投下、ポツダム宣言受諾 |
時代語録
時代語録をご紹介します。
昭和初期から終戦1926〜'45KEY-WORD
- チャールストン('27)
- モガ、モボ('27)
- 金解禁('29)
- 「生まれてはみたけれど」('31)
- テクシー('31)
- 「話せば分かる」('32)
- 「問答無用」('32)
- 「前畑がんばれ」('36)
- 日の丸弁当('39)
- ヤミ('39)
- 「ぜいたくは敵だ」('40)
- 学徒出陣('43)
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