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島根を創った人たち

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私たちが暮らす島根は、先人たちの絶え間ない努力の積み重ねの上に成り立っている。
そうした歴史の層から、私たちは今日の社会を生き抜き、未来を切り開く知恵を学ぶことができる。
苦難を乗り越え、島根の礎(いしずえ)を創ってきた偉人たちの物語をつづる。

 

松浦斌(まつうらさかる)私財を投げ打ち隠岐航路の開設に尽力

 

松浦斌の肖像の写真(松浦道仁氏提供)
松浦斌の肖像写真(松浦道仁氏提供)

 

本土への安全輸送に蒸気船購入を提案


今でこそ、約70キロ離れた本土までフェリーで2時間ほどの隠岐だが、明治時代の初めは、小さな帆掛け舟が頼りだった。
風向きや潮流まかせの舟は、定刻どおりに航海できない上、台風の季節や北西風が吹くと、多くの尊い命が奪われた。
海上交通の不備を憂い、「島民が力を合わせて大きな蒸気船を買い、安全な航路を開こう」と立ち上がったのが、西ノ島町の焼火(たくひ)神社の神官、松浦斌(まつうらさかる)だった。

議員や漁民が一斉に反発

 

隠岐島議会の議員だった斌は、1883(明治16)年4月、蒸気船の購入を提案する。
だが、ほかの議員は「高額の蒸気船に、島の大切なお金を費やせない」「今まで通り、帆掛け舟で間に合う」と耳を貸さない。
同じころに航路を計画した個人企業が、採算面などでことごとく失敗していたほか、廻船(かいせん)業者は事業を圧迫すると猛烈に反対。
島の漁師も「蒸気船の音がイカ漁を妨害する」と非難していたことが背景だった。
島民から石を投げつけられる目にもあった斌は、島全体を敵にしたかのような気になり、ふさぎこんだ。
当時の心境を子孫の松浦道仁さん(58)は「決断が早く、行動力がある人だっただけに、落胆は大きかっただろう」と推測する。


マップ

 

悲壮な覚悟が島民の心動かす

 

望みを失いかけていた斌のもとを訪ね、励ます一人の男がいた。隠岐島の初代郡長、「高島士駿(たけと)」である。
高島も島の将来を案じ、蒸気船の必要性を痛感していた。「一緒に船を走らせよう」との高島の呼びかけに、斌の情熱の灯が再びともる。
島を東奔西走し、蒸気船が島の発展に欠かせぬこと、漁業の妨げにならないことを根気強く説いた。
そして翌年4月。なんとしても蒸気船を島に迎えようと、高島が代表し、購入を発議した。ところが、ほかの議員たちは相変わらず激しく反対し、提案を受け入れない。


航路開設により大きな発展をみせた隠岐の写真(写真は現在の隠岐の島町の街並み)
航路開設により大きな発展をみせた隠岐(写真は現在の隠岐の島町の街並み)
 

 

英国製の蒸気船購入

 

その時、意を決して立ち上がった斌が切迫した表情で言った。「皆さんの考えは、20年遅れている。このままでは隠岐は取り残される」と。
さらに「私が蒸気船の購入費用の半分を出す。損失が出ても、皆さんに迷惑はかけぬ」と続けた。
この悲壮な覚悟に議場の空気は一転し、斌と議会が折半し船を買う案がまとまった。
斌は素早く動き、同年末には英国製の蒸気船(約131.52トン)が島に接岸した。
「隠岐丸」と名づけた船は当時1万6500円、現在の貨幣換算で約9400万円(GDPデフレーターによる試算)に上る高額の買い物だった。
斌は半額を負担するため、所有する焼火山の山林約12.9ヘクタールのスギやマツ約1万9千本を提供した。
山ははげ山となり、代々引き継いだ財は失ったが、念願の航路開通に、高島と手を取り合って喜んだ。

風向きや潮流まかせだった帆掛け舟(資料)の写真
風向きや潮流まかせだった帆掛け舟(資料)

斌が私財を投じて購入した隠岐丸(隠岐汽船提供)の写真
斌が私財を投じて購入した隠岐丸(隠岐汽船提供)

 

受け継がれる斌の思い


だが、現実は甘くない。
ようやく開設した航路の利用者は伸び悩み、当初は年間わずか30航海ほどだったとの記録もある。
低迷する航路を案じつつ、病にかかった斌は明治23年1月、38歳の若さでその生涯を閉じた。
遺志を継いだ有志は明治28年、経営維持に向け、現在の隠岐汽船(株)を設立した。
現社長の木下典久氏(61)は「斌氏の英断で、島民の生活様式は豊かになり、教育、文化、産業が飛躍的に進展した」と、高い先見性と行動力を評価。
斌の銅像を西ノ島町の別府港に建立し、功績を顕彰するとともに、公益優先の精神を社是として継承している。
隠岐の島町の松田和久町長(66)は「隠岐航路は今、人口減や不況による利用者の減少、燃油高騰などで大きな岐路に立っている。松浦氏の精神に今一度思いをはせ、航路維持と運賃低廉化を図ることが、私に課せられた使命」と決意を語る。
航路開設から約130年。
隠岐のフェリーは、焼火山の下を通過する際、海上安全の祈願と斌への敬意を込め、必ず汽笛を鳴らす慣わしになっている。

斌の銅像の前に立つ子孫の松浦道仁さんの写真
斌の銅像の前に立つ子孫の松浦道仁さん


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