島根PR情報誌「シマネスク」(2022年3月発行)

隠岐・地球(ジオ)を旅する

本土から40~80キロ離れ、日本海に囲まれた隠岐(おき)諸島。
西ノ島、中ノ島、知夫里島(ちぶりじま)、島後(どうご)の
4つの有人島と、約180の無人島からなり、
そのすべてが丸ごと「隠岐ユネスコ世界ジオパーク」です。
地球の歴史を物語る断崖・奇岩の絶景や
豊かな歴史・文化などが、
隠岐の各地にちりばめられています。


隠岐諸島の地図


ローソク島の写真
ローソク島


大地の造形美

火山島である隠岐では、海や風の浸食によって大地が削られ、目もくらむような断崖やユニークな奇岩の景色が形づくられました。むき出しになった地層には大地創造の痕跡を見ることができ、知夫里島の赤壁は火山の断面そのもの。島後のトカゲ岩は、日本では珍しいアルカリ火山岩でできており、その不思議な形に驚かされます。


国賀海岸の写真
国賀海岸


トカゲ岩の写真
トカゲ岩


赤壁の写真
赤壁


油井の前の洲の写真
油井の前の洲


恵みの島

海に囲まれた隠岐は、古くから漁業が盛ん。天然の良港が数多くあり、干満差が少ない海岸線に舟小屋が並ぶ光景は、隠岐の伝統的な漁村風景です。


屋那の舟小屋の写真
屋那の舟小屋


島々は豊富な湧水にも恵まれています。知夫里島の赤ハゲ山では、山頂付近でも水が湧くことを生かして、かつては土地を石垣で区切って畑作と放牧を繰り返す「牧畑(まきはた)」が行われていました。


牧畑に使われた石垣の写真
牧畑に使われた石垣


文化の彩り

日本海交易の中継地として、島外との交流が盛んに行われてきました。島民にはなじみ深い「しげさ節」「キンニャモニャ」などの民謡は、船乗りが島に持ち込んだ歌がルーツだといわれています。


隠岐神社の写真
隠岐神社


また、離島でありながら豊かな食もあったことから、鎌倉時代には中ノ島が後鳥羽上皇の配流の地となりました。上皇を慰めるために始まったと伝わる「牛突き」は、今は島後で地元の人々や観光客を楽しませています。


牛突きの写真
牛突き


隠岐の不思議を解き明かす・隠岐自然館(隠岐の島町)

隠岐諸島は、ユーラシア大陸の一部から、地殻変動や度重なる火山活動、温暖化や氷河期による海面の変化を経て現在の形になりました。その壮大な大地のドラマを、プロジェクションマッピングで体感できるのが隠岐自然館です。


プロジェクションマッピングの写真
プロジェクションマッピング


岩壁を上る巨大なトカゲのような「トカゲ岩」や天然アーチの「通天橋」など、目を見張るような景観はなぜ生まれたのか。暖かい地域と寒い地域の植物が、なぜ隠岐には共存しているのか。隠岐で採れた黒曜石が、なぜ本土まで流通したのか。他の地域にはない隠岐の不思議を、大地の成り立ちや独自の生態系、人の営みといった視点から解き明かせるよう、分かりやすい展示や解説も行われています。


隠岐近海の海の生物の展示の写真
隠岐近海の海の生物の展示


隠岐自然館は、隠岐の島町の玄関口・西郷港の隣に誕生した隠岐ジオゲートウェイ内に昨年、リニューアルオープン。隠岐ユネスコ世界ジオパークの魅力を発信する拠点としての役割を担っています。


隠岐ジオゲートウェイの写真
隠岐ジオゲートウェイ


●お問い合わせ

隠岐自然館
隠岐の島町中町目貫の四61(TEL:08512・2・1583)


フィールドへの想像力をかき立てる・Ento(海士町)

海にそそり立つ摩天崖(まてんがい)、後鳥羽上皇ゆかりの隠岐神社、火山の外輪山だった島々が内海を囲む島前(どうぜん)カルデラ。こうした見どころが詰まっているのが、西ノ島、中ノ島、知夫里島を中心とした「島前」と呼ばれる地域。そのジオパーク発信拠点としての機能と、宿泊機能を兼ね備えた日本初の施設が、中ノ島に建つ「Ento(エントウ)」です。


Entoの写真
Ento


館内の展示室には3つの島を表すテーブルがあり、島前の特徴的な地形や生態系、人の営みをかたどったオブジェが置かれています。室内がモノトーンで解説もシンプルなのは、ジオパークを予習する場所として“語りすぎない”ための仕掛け。ここで想像力をかき立ててから実際に島のフィールドへ飛び出すと、本物の魅力をより一層体感できます。


展示室ジオルーム“ディスカバー”の写真
展示室ジオルーム“ディスカバー”


Entoでは島への旅路や、島のフィールドへの訪問、住民との出会いを「コンシェルジュ」がサポート。「交流の島」としての歴史も継承しています。


ジオラウンジの写真
ジオラウンジ


●お問い合わせ

Entoジオオフィス(Ento内)
海士町福井1375-1(TEL:08514・2・2365)



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