• 背景色 
  • 文字サイズ 

島根の山城を歩く

自然の地形を生かし、見晴らしの良い高地に造られた山城。領国防衛の拠点として、ときに激しい戦の舞台にもなりましたが、今では多くが朽ち、そこに城があったことを示す痕跡も草木に覆われています。

尼子・毛利・大内などの戦国大名が覇権を競った出雲と石見にも、千を超える山城が築かれました。その中から、二つの名城を紹介します。


津和野城(津和野町)

戦国の世が終わりを迎えるにつれて役目を終え、廃れていった山城が多いなか、幕末まで現役だった全国でもまれな山城が、亀井氏の居城として知られる津和野城です。

元は中世・吉見氏が本拠としていた城でしたが、江戸時代の初めに坂崎直盛が手を加え、石垣を持つ近世の城としました。山頂には今もこの石垣が残り、訪れる人に往時の城郭の姿を想像させます。

ひときわ高く積み上げられた本丸の石垣。その最も高くなったところが「三十間台」で、ここからは、碗を伏せたようなフォルムが優美な青野山や、津和野盆地に広がる赤瓦の城下町を一望できます。

津和野川から立ち上った霧が盆地にたゆたう朝は、向かいの高台からの眺めも格別。200メートルの高みにある城跡が夜明けとともに雲海に浮かび上がります。


本丸の高石垣の写真
本丸の高石垣


本丸に向かう大手道の写真
本丸に向かう大手道。石段が古城へ誘う


三十間台からの眺めの写真
三十間台からの眺め


POINT

津和野駅から山頂まで徒歩50分。

城跡観光リフト利用の場合、リフト山頂駅から徒歩20分。


●お問い合わせ

津和野町教育委員会文化財係(TEL:0856・72・0300)

QRコード1


月山富田城(安来市広瀬町)

日本五大山城の一つに数えられる月山富田城は、戦国大名・尼子氏が本拠とした「難攻不落」の城です。

三方を険しい山々に囲まれ、残る一方は、飯梨川が外堀となる天然の要害。山頂の本丸に向かうルートは三つありますが、いずれも中腹の要衝「山中御殿(さんちゅうごてん)」を避けて通れません。そこを抜けて攻め上がろうにも、その先は細く、急な一本道「七曲がり」。そこから三の丸、二の丸を突破してようやくたどり着いた本丸の前には深い堀切が待ち構えており、山城の利を存分に生かした鉄壁の守りを誇りました。

いかに堅固であったかを物語るのが、二度にわたって繰り広げられた「月山富田城の戦い」です。天文十二(1543)年、大内・毛利の連合軍4万5千に城を攻められた尼子晴久は、わずか3分の1の兵力でこれをしのぎ、撃退に成功。尼子氏繁栄の最盛期を招来します。21年後に再び襲来した毛利軍によってこの栄華は終わることになりますが、二度目となったこの攻城戦で毛利元就が選んだのは、兵糧攻めでした。力まかせではこの城を落とせないと考えたのです。

現在は山中御殿からの道も整備され、山頂までは徒歩で20分ほど。眼下には飯梨川のゆるやかな流れ、天気の良い日にはその先に中海を望めます。


三の丸跡の写真
三の丸跡。現在見られるこれらの石垣は、尼子氏の後、毛利氏、吉川氏、堀尾氏によって築かれたと考えられる


城門跡の写真
狭い切り通しとなっている城門跡


飯梨川左岸から見た月山の写真
飯梨川左岸から見た月山


七曲がりからの眺望の写真
七曲がりからの眺望


●お問い合わせ

安来市教育委員会文化財課(TEL:0854・23・3240)

島根県の地図


QRコード2


映像クリエーターFROGMANさんからひとこと

FROGMANさんの写真


島根に数多くある山城に興味を持ち、訪ね歩いてコラムを書いたことがあります。なかでも、山頂に大規模な石垣が築かれた津和野城や月山富田城には、国を守る武士の決死の覚悟を感じ圧倒されました。




お問い合わせ先

広報室

島根県広報部広報室
〒690-8501
島根県松江市殿町1番地   
【電話】0852-22-5771
【FAX】0852-22-6025
【Eメール】kouhou@pref.shimane.lg.jp