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石見銀山/世界遺産の魅力

龍源寺間歩の写真
龍源寺間歩


戦国時代から江戸時代にかけ、日本を代表する鉱山として銀を産出した石見(いわみ)銀山。生産された良質な銀は、東アジア交易で重要な役割を果たしました。来年の世界遺産登録10周年を前に、銀鉱石を採掘した坑道「間歩(まぶ)」や、銀山の繁栄に関わった人々のゆかりの地を巡り、シルバーラッシュに沸いた往時の面影をたどります。


石見銀山には、現在600カ所以上の間歩が残っています。このうち、「龍源寺(りゅうげんじ)間歩」は、江戸時代前期に開発され、銀生産を支えた主力の坑道です。うす暗い坑内にはひんやりとした空気が流れ、無数のノミの跡が残るごつごつとした岩肌が続きます。坑内を歩くと、サザエの貝殻で作ったランプ「螺灯(らとう)」のささやかな明かりを頼りに作業に励んだ当時の採掘風景が目に浮かびます。

石見銀山で最大級の規模を誇るのが「大久保間歩」。坑内の天井までの高さは最も高いところで約5メートルに及び、初代銀山奉行を務めた大久保長安(ながやす)がやりを持ち馬に乗ったまま入ったという伝承があるほどです。採掘跡からは、江戸時代の手掘りと明治時代の機械掘りと2種類の跡が見て取れ、技術の変遷もうかがえます。

大久保間歩坑口(こうぐち)からさらに山道を登ると、慶長年間に開発され劇的に銀の産出量を増やした「釜屋(かまや)間歩」が周囲の自然に溶け込むようにして、忽然(こつぜん)と現れます。平成15年度の発掘調査で生い茂る木々の中から発見された階段跡など、坑口付近の巨大な岩盤遺構を見上げると、往時のにぎわいが想起させられます。


【メモ】
●大久保間歩は一般公開限定ツアーでのみ入坑可能。
ツアーは、4月1日〜11月30日の金・土・日・祝日、8月15日、平成29年3月の金・土・日・祝日に開催。
●大久保間歩は平成29年度から、現在の公開区域150メートルから、
さらに15メートルほど奥にある「福石場(ふくいしば)」と呼ばれる地下採掘場跡まで広げて公開予定です。


岩盤遺構周辺の写真
岩盤遺構周辺


石見銀山周辺のマップ


●お問い合わせ
大田市役所観光振興課(TEL:0854・88・9237)
大田市教育委員会石見銀山課(TEL:0854・83・8134)
石見銀山世界遺産センター(TEL:0854・89・0183)
「島根県文化財課世界遺産室」で検索


五百羅漢の写真
五百羅漢


間歩内作業図(石見銀山絵巻より。中村俊郎氏所蔵)の写真
間歩内作業図(石見銀山絵巻より。中村俊郎氏所蔵)


石見銀山は、間歩で働く人、鉱山の経営にあたる人など、多くの人々の力が結集され繁栄しました。


間歩内での作業風景を描いた「石見銀山絵巻」からも分かるように、江戸時代の作業は全て人力でした。鉱石を掘る「銀掘(かなほり)」、鉱石を袋につめる「入手(いれて)」、それを運び出す「柄山負(がらやまおい)」と呼ばれる人々が働いていました。地下深く掘り進むと湧き水も出てくるため、坑内での作業は容易ではなく、二酸化炭素の充満や粉じんなどが原因で、若くして病に倒れる人も少なくありませんでした。

羅漢寺(らかんじ)境内にある「五百羅漢」は、そうした抗夫たちも供養するために、地元の石工たちが25年もの歳月をかけて彫像し、明和3(1766)年に完成しました。小川を挟んだ寺向いの岩山の中央窟には石造の釈迦三尊像があり、左右に掘られた二つの石窟にはさまざまな表情や体形をした羅漢像計501体が安置されています。


慶長6(1601)年、大久保長安(ながやす)は徳川家康に命ぜられ、石見銀山の初代銀山奉行となりました。長安の下(もと)で活躍した地役人(じやくにん)が吉岡出雲(よしおかいずも)と宗岡佐渡(むねおかさど)です。二人は毛利氏の時代から現地で石見銀山の経営にあたったほか、伊豆や佐渡の鉱山開発にも関わり手腕を発揮しました。その功績を評され、「出雲」と「佐渡」という官名を家康から授かり、同時に吉岡が拝領した「銀杏葉雪輪散辻(いちょうばゆきわちらしつじ)が花染胴服(はなぞめどうふく)」は、重要文化財として東京国立博物館に収蔵されています。

また、石見銀山地内には、龍源寺間歩近くの山中にある吉岡出雲の墓や、宗岡家の遺宅(保存修理中)があります。


●お問い合わせ
羅漢寺(TEL:0854・89・0005)




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