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相撲発祥の地島根

島根は相撲発祥の地と言われています。
編纂(へんさん)1300年を迎えた「古事記」の中で、国譲りを迫るタケミカヅチに、オオクニヌシの子のタケミナカタが異を唱え、稲佐の浜で力競(ちからくら)べを挑んだとされることなどからです。
古代において、相撲は基本的には格闘技ですが、一方では、五穀豊穣(ほうじょう)などを願うカミゴト(神事)という側面も持っていました。
島根はカミゴトとしての相撲が色濃く残っている所でもあります。

芳年武者無類野見宿祢・當麻蹴速の写真(古代出雲歴史博物館蔵)
芳年武者無類野見宿祢・當麻蹴速(古代出雲歴史博物館蔵)
 

島根が相撲発祥の地とされるのは、国譲りの神話の他、「日本書紀」に、出雲国の人、野見宿禰(のみのすくね)が、大和国の力自慢、當麻蹴速(たいまのけはや)と天皇の前で力競べをして倒したという記述があることにも由来しています。
県内に残るカミゴトとしての相撲では、上半身裸の子供が手を取り合って礼拝をする、隠岐の島町の武良(むら)祭で行われる「神相撲(こずま)」があります。
西ノ島町の美田(みた)八幡宮と日吉神社の「神(かん)の相撲」は、子供が競争などをしますが、取組はしません。
益田市にある櫛代賀姫(くししろかひめ)神社の「角力(すもう)神事」は大人が対戦しますが、引き分けで終了。奉納という儀礼的な相撲と言えます。
祝事があった時だけに島を挙げて徹夜で行われる隠岐の古典相撲は、競技とカミゴトの両面を持つ相撲です。
江戸後期に隠岐の島町にある水若酢神社の遷宮にあたり、勧進のために行われたのが始まりとされています。
昭和38年まで続いていましたが、若者の島外流出で中断し、同47年に再開されました。以来、平成24年7月の大会まで14回開かれています。
取組は2番勝負で行われ、最初の1番は真剣勝負で、2番目は先勝した方が勝ちを譲って引き分けで終わることになっています。
引き分けで終わることは、カミゴトとしての相撲の特徴です。
島の中でしこりを残さないためとも言われ、こうしたことから人情相撲と呼ばれています。
勝った役力士には土俵の四隅に立てられた柱が授与されることから、柱相撲とも言われています。
競技としての相撲でも、島根は傑出した存在でした。
江戸時代、松江藩は史上最強と言われる雷電為右衛門(らいでんためえもん)(1767〜1825年)ら強豪力士を多く抱え、享和元年(1801年)の勧進相撲番付では、西方の上位6人を雲州力士が占めていました
。島根出身の唯一の横綱、陣幕久五郎(じんまくきゅうごろう)(1829〜1903年)は、第何代横綱というように、現在一般的に使われている横綱の代数を発案したことでも知られています。
現代の大相撲では、隠岐の島町出身の力士、隠岐の海関が幕内で活躍しています。
平成13年に開かれた第11回の古典相撲で、当日に取組が決まり、番付に定められた取組の前に行われる割相撲に、高校1年生で出場したことがある隠岐の海関。
同町では八角部屋の夏合宿が平成23年から2年連続で行われています。隠岐の海関には隠岐の人々をはじめ、島根県民の応援を力にさらなる飛躍が期待されています。


古典相撲で勝った役力士に授与された土俵の柱の写真
古典相撲で勝った役力士に授与された土俵の柱

隠岐古典相撲の写真
隠岐古典相撲

化粧まわし姿一人立陣幕久五郎の写真(古代出雲歴史博物館蔵)
化粧まわし姿一人立陣幕久五郎(古代出雲歴史博物館蔵)

化粧まわし姿一人立雷電為右衛門(古代出雲歴史博物館蔵)
化粧まわし姿一人立
雷電為右衛門(古代出雲歴史博物館蔵)


八角部屋の夏合宿で稽古をする隠岐の海関(隠岐の島町提供)
八角部屋の夏合宿で稽古をする隠岐の海関
(隠岐の島町提供)

 

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