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和歌の里しまね

我こそは新島守よ

隠岐の海の荒き波風

心して吹け


後鳥羽院


和歌の里しまねの写真

小倉百人一首の99番目の和歌を詠まれた後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)は、鎌倉幕府倒幕に失敗して隠岐島に流され、残りの生涯を島で過ごされました。
上皇の生活の場となった島前(どうぜん)・海士(あま)町には、墓所である御火葬塚(ごかそうづか)など、ゆかりの場所があちこちに点在します。
上皇が隠岐島に一歩を記したのは海士町の南部・崎(さき)地区で「我こそは新島守(にいじまもり)よ隠岐の海の荒き波風心して吹け」の歌を詠まれ、荒れた海も治まったとの言い伝えが残ります。
港のそばには上皇が休憩のため腰掛けた石や一夜を過ごした三穂(みほ)神社があります。
生活の場となった行在所(あんざいしょ)跡は町の中心部の小高い丘にある旧源福寺(げんぷくじ)でしたが、明治時代の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で焼かれ、今は杉木立の中に礎石と石柱が建っています。
そばにある勝田(かつた)池のほとりには、上皇が詠まれたといわれる「蛙(かわず)鳴く苅田(かりた)の池の夕だたみ聞かましものは松風の音」の歌碑もあります。
都を離れたものの、豊かな自然の中で才能を遺憾なく発揮され、「遠島百首(えんとうひゃくしゅ)」などに代表されるように、歌を詠むことが心の支えとなったといいます。

行在所跡近くには、19年間の島生活を送って亡くなられた上皇の遺骨の一部を納める御火葬塚があります。
柵(さく)に囲まれて近づくことはできませんが、入り口に位置する鳥居を見ることができます。
明治以降に御陵(ごりょう)と同様の管理がされるようになってからは、地区内の村上家が宮内庁から墓守りに任命されています。
また、昭和14年の上皇700年祭にあわせて、威徳を広めるために隠岐神社が御火葬塚に隣接して創建されました。
春になれば参道の両側にある桜並木が観光客を楽しませます。
さらに後鳥羽院資料館には、隠岐神社宝物と上皇の資料類が展示されています。

隠岐神社の写真
隠岐神社

御腰掛の石の写真
御腰掛の石

三穂神社の写真
三穂神社

勝田池ほとりの歌碑の写真
勝田池ほとりの歌碑

御火葬塚の写真
御火葬塚

後鳥羽院御影の写真
後鳥羽院御影

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