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和歌の里しまね

鴨山の磐根し枕ける

われをかも知らにと妹が

待ちつつあらむ


柿本人麻呂


柿本人麻呂終焉地のひとつと伝えられる鴨島があった益田市沖の写真
柿本人麻呂終焉地のひとつと伝えられる鴨島があった益田市沖

 

 

万葉の歌人・柿本人麻呂(かきのもとひとまろ)は歌聖と呼ばれながら、その生涯は謎に包まれた歌人として知られています。
県西部の石見地方には人麻呂の足跡があちこちに残されており、今でも「ひとまろさん」として親しまれています。
人麻呂は石見の地で依羅娘子(よさみのおとめ)を妻として暮らしたとされ、上京の別れにあたって詠んだ「石見の海角の浦廻(み)を浦なしと…」で始まる石見相聞歌(そうもんか)が有名です。
続く「石見のや高角山(たかつのやま)の木の際(ま)よりわが振る袖を妹(いも)見つらむか」の短歌とも合わせ、石見の地名が数多く詠まれ、舞台は江津市とも言われています。
依羅娘子の生誕地と伝えられる同市二宮町の恵良(えら)の里は、古墳なども数多く残り、当時の中心地だったことがうかがえます。
ここから見る高角山はちょうど太陽が昇る位置にあり、信仰の山として崇拝されていました。
謎に包まれた人麻呂の生涯ですが、益田市中心部から約10キロ西寄りにある戸田柿本神社には、この地が人麻呂の生誕地だったとの伝承が残されています。
49代続く宮司の綾部(あやべ)家が代々語り伝えており、神社には人麻呂を描いた絵や木像が残されているほか、遺髪塚もあります。
また終焉地(しゅうえんち)にもさまざまな説があります。亡くなる前に詠んだとされる歌が「鴨山(かもやま)の磐根(いわね)し枕(ま)けるわれをかも知らにと妹が待ちつつあらむ」です。
歌に記された鴨山については古来から地震で沈んだ益田市沖の鴨島(かもしま)説が伝わっていましたが、昭和48年に哲学者の梅原猛(うめはらたけし)氏が著作で発表したことで一躍脚光を浴びました。
高台にそびえる高津柿本神社からは鴨島が沈んだとされる益田市沖の日本海が一望できます。
一方、昭和の歌人・斎藤茂吉(さいとうもきち)氏は美郷(みさと)町湯抱(ゆがかえ)の鴨山を終焉地としているなど、人麻呂をめぐって石見地方には万葉ロマンが広がっています。

柿本人麻呂像(戸田柿本神社蔵)の写真
柿本人麻呂像(戸田柿本神社蔵)

美郷町にある終焉地のひとつ鴨山の写真
美郷町にある終焉地のひとつ鴨山

戸田柿本神社(益田市)の写真
戸田柿本神社(益田市)

高津柿本神社の写真(益田市)
高津柿本神社(益田市)

依羅娘子生誕地とされる里にある歌碑の写真(江津市)
依羅娘子生誕地とされる里にある歌碑(江津市)

人麻呂が死の直前に詠んだ歌の歌碑の写真(益田市)
人麻呂が死の直前に詠んだ歌の歌碑(益田市)

長歌に詠まれた辛の崎にある歌碑の写真(江津市)
長歌に詠まれた辛の崎にある歌碑(江津市)


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