• 背景色 
  • 文字サイズ 

鉱山町、街道、港。すべては銀山によって形成された

 

広大な遺跡エリア

 現在、世界遺産として推薦されているエリアは、国の史跡指定地を含む約3663ヘクタール。このエリアには、銀が採掘された現場のほか、積出港に至る街道、港が含まれている。ダイナマイトの使用など、採掘技術が近代化する以前に産銀量が減少したことや輸送コスト等の問題から、早くに大規模な開発が中止された。しかしこれが幸いして、坑夫たちがノミで手掘りした跡や坑道、街道の石段、船を港に繋ぎとめておくための手彫りの「鼻ぐり岩」などがそのまま残り、銀の産出から積み出しに至る全体像が不足なく明確に残されている。

[坑道図面をもとに再現した3Dグラフィックス]

 

石見銀山の中枢、仙ノ山(せんのやま)の地下にはアリの巣のように坑道が入り組んでいる。
[坑道図面をもとに再現した3Dグラフィックス](資料提供/島根県立三瓶自然館サヒメル)

 

産業革命以前の形を残す

 また日本の鉱山の先駆けとして採掘方法の変遷を垣間見ることもできる。これまでに世界遺産に登録された産業遺跡の多くは、18世紀に起こった産業革命により機械化・大規模化された以降のものである。一方、石見銀山遺跡は、人々が手作業で工夫を重ねた工程をも色濃く残す、世界的にも稀な遺跡なのである。
さらに、日本海に面する港から銀山にかけて、国内のみならず世界中の人々が銀を求めて集まり、食料品や燃料、生活物資を取引する市場や宿泊施設などを擁する日本初の大きな鉱山町が形成された。こういった観点からも、石見銀山は日本を代表する貴重な遺跡なのである。

 

[元和年間石見国絵図]採掘から精錬に至るまでの銀の生産活動が一貫して行われた柵内(さくのうち)。江戸初期、銀山盛時のようすがわかる。[元和年間石見国絵図](浜田市教育委員会所蔵)

 

毛利元就 尼子晴久

(左)毛利元就[1497ー1571]
尼子氏との争いを経て、1562年、石見銀山を手中におさめる。
(防府毛利博物館所蔵)

(右)尼子晴久[1514ー1560]
1558年、毛利軍を破り石見銀山を領有。
(山口県立山口博物館所蔵)

 

石見銀山の中枢「柵内」

 戦国時代、巨大な軍資金を生み出す銀山は、周防(現在の山口県)の大内氏、出雲の尼子(あまこ)氏、安芸(現在の広島県)の毛利(もうり)氏、豊臣秀吉などによる管理を経て、関が原の戦いの10日後には徳川家康が直轄領として支配した。そして約300ヘクタールの直轄領周辺に柵を巡らせて人や物資の出入りを管理し、貴重な銀の流出や情報漏えいを防いだ。ここが銀の採掘と精錬が行なわれた「柵内(さくのうち)」と呼ばれる最も重要なエリアである。

 

山一面を覆う木々や竹を伐採していくと、巨大な遺構が出現する。写真は釜屋間歩(まぶ)付近発掘時。 鞆ケ浦(ともがうら)、沖泊(おきどまり)の港に多数残っている鼻ぐり岩。寄航した船をつなぎとめておくために、入り江の岩盤を加工して作られたもの。石見銀山と銀の積み出し港をつないだ街道の一つ、温泉津沖泊道(ゆのつおきどまりどう)。銀の搬出と諸物資の搬入に利用された。

(左)山一面を覆う木々や竹を伐採していくと、巨大な遺構が出現する。写真は釜屋間歩(まぶ)付近発掘時。

(中)鞆ケ浦(ともがうら)、沖泊(おきどまり)の港に多数残っている鼻ぐり岩。寄航した船をつなぎとめておくために、入り江の岩盤を加工して作られたもの。

(右)石見銀山と銀の積み出し港をつないだ街道の一つ、温泉津沖泊道(ゆのつおきどまりどう)。銀の搬出と諸物資の搬入に利用された。

 

羅漢寺五百羅漢の写真1 羅漢寺五百羅漢の写真2代官所地役人を務めた旧河島家は、大森で唯一公開されている武家屋敷の写真

(左・中)18世紀中ごろに制作されたもので、石見銀山の石造物文化を代表する信仰遺跡、羅漢寺五百羅漢。岩盤に3つの石窟をうがち、石造の三尊仏と羅漢像500体が納められ、アーチ状の石橋が築かれている。

(右)代官所地役人を務めた旧河島家は、大森で唯一公開されている武家屋敷。(大森銀山重要伝統的建造物群保存地区)

 

続々と解明される往時の営み

 昭和の終わりごろから、地元大田市などが本格的に発掘調査を開始。世界遺産登録の声がささやかれ始めてからは島根県も体制を再構築し、大田市と一体となって発掘調査・文献調査・科学調査・石造物調査などを進めており、多くの事実が明らかにされてきている。また間歩(まぶ)調査も行われ、これまでに発見された採掘の跡は600カ所以上にのぼる。さらに、幕府による開発が進められる以前の資料が少ないため、記録にない採掘跡にもたびたび出くわすという。
日々、積み重ねられる発掘成果から、徐々に石見銀山の姿が解明されている。

 

仙ノ山(せんのやま)を正面に望む位置にある要害山山頂の写真。銀山争奪の拠点となった山吹城(やまぶきじょう)跡が残る。

仙ノ山(せんのやま)を正面に望む位置にある要害山山頂。銀山争奪の拠点となった山吹城(やまぶきじょう)跡が残る。

 

page.1-page.2-page.3

 

 

Copyright(C)2005ShimanePref.AllRightReserved


お問い合わせ先

広聴広報課

島根県政策企画局広聴広報課
〒690-8501
島根県松江市殿町1番地   
【電話】0852-22-5771
【FAX】0852-22-6025
【Eメール】kouhou@pref.shimane.lg.jp