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歴史を動かした、世界の中の石見銀

特集・石見銀山

 大航海時代の16世紀、世界の注目を集めた石見銀山。一大産業遺跡として栄えた歴史は、今、緑深い山中に静かに眠っている。石見銀山遺跡は、7月2日、ニュージーランドで開催された世界遺産委員会で世界遺産に登録された。ユネスコの諮問機関・国際記念物遺跡会議(イコモス)の「登録延期」勧告を受けたが、関係者の粘り強い説得と働きかけが功を奏し、無事「登録」にこぎつけた。日本で14番目、産業遺産としてはアジア初となる石見銀山遺跡の世界的な価値とその魅力を、改めて探る。

ティセラ日本図 1560年の天皇即位式に際し献上された「御取納丁銀」。(島根県教育委員会所蔵)

 

1560年の天皇即位式に際し献上された「御取納丁銀(おとりおさめちょうぎん)」
(島根県教育委員会所蔵)

 

 

 

 16世紀から江戸時代にかけて制作された「南蛮屏風」の写真。[左隻](堺市博物館所蔵)

16世紀から江戸時代にかけて制作された「南蛮屏風」。[左隻](堺市博物館所蔵)
貿易のために渡来し、南蛮文化を持ち込んだポルトガル人の姿がある。

 

 

 

世界の海を渡り、東西の文化交流を生み出した石見銀

 ヨーロッパ諸国がアジアや新大陸諸国の産物を求め、海を渡っていた大航海時代。交易によって莫大な富を得られることを知ったヨーロッパ人たちは、遭難や海賊からの襲撃、病気の危険をかえりみず、競って海外進出を試みた。そして大量流出する日本銀を媒介に中国、朝鮮、日本間の交易が活発化しているという噂を聞きつけ、日本の沿岸にヨーロッパ人が乗る船が姿を現すようになった。目的は安価で高品位な日本銀。真っ先に日本に上陸したポルトガルは、日本と中国との中継貿易で得た銀を用いて東アジアで香辛料や絹織物を入手し、ヨーロッパ市場で巨利を得ていった。
このような時代にヨーロッパ諸国で作成された日本地図には、石見の位置に唯一「銀鉱山王国」「銀鉱山」と記されている。数少ない情報を元に作成された地図ゆえ、いかに当時のヨーロッパ人が重要視していたかが推測される。
平戸で英国商館長を務めたリチャード・コックスは、江戸初期の日本について記した日記の中で、良質な日本銀を「ソーマ」銀として度々記載している。石見銀は、銀山のあった佐摩村にちなんでこう呼ばれ、信頼性の高い銀ブランドとして流通していたのである。
石見の銀を媒介にして、世界中の価値ある物資が流通するとともに、西洋と東洋の経済的、文化的交流が生まれたのである。

石見銀山を中心に日本で生産された大量の銀が、貿易を通じて16世紀から17世紀の東アジアへ流通していた。このころ、金銀や香辛料を求めて自らの文明圏を越えて世界に活動範囲を広げつつあったヨーロッパ人が東アジア貿易に参入し、東西の経済・文化交流を生み出したことは、世界的にも重要である。

史跡指定地・関連遺跡

 

 

 

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