• 背景色 
  • 文字サイズ 

二千年の眠りから覚めた青銅器

荒神谷(こうじんだに)遺跡と加茂岩倉遺跡

平成19年3月10日、出雲大社の東隣に島根県立古代出雲歴史博物館が開館した。同館では特色ある古代文化を中心に島根の貴重な歴史文化を分かりやすく紹介し、日本とは何か、日本文化とは何かを問いかけていく。同館特集第2回目は、大量出土した青銅器からたどる古代出雲の謎の姿に迫る。

 

 

二千年の眠りから覚めた青銅器の写真1二千年の眠りから覚めた青銅器の写真2

古代文化を今に受け継ぐ"出雲の地"(島根半島から宍道湖、出雲の山々を望む)

 

相次ぐ史上初の発見

 

 昭和59年7月、島根県東部の斐川町神庭字西谷の丘陵(荒神谷遺跡)から弥生時代の銅剣が発見された。最終的な埋納数は358本。たった一カ所の発見で、全国で発掘された総数約300本を軽く超えた。掘るごとに増えていく銅剣に調査員は身震いを覚え、弥生青銅器研究の権威者・佐原真さん(当時奈良国立文化財研究所研究指導部長・故人)は初めて遺跡を訪れた時、「分からない...」と唯一コメントを残したという。

 翌年、出土地の横7メートルの地点から、銅矛16本、銅鐸6個が発見された。銅剣、銅矛、銅鐸は、いずれも祭りの道具でありながら祭りのあり方や考え方が異なるため、同じ場所からの出土はありえないとされてきた。その常識は見事に覆されたのである。

 さらに12年後の平成8年、荒神谷遺跡から直線距離でたった3.3キロメートル東南の雲南市加茂町岩倉の丘陵中腹から、39個の銅鐸が発見された。銅鐸の一括埋納数では全国一である。

 相次ぐ発見で、「銅剣・銅矛文化は九州北部、銅鐸文化は近畿地方が中心」という、それまでの日本の青銅器分布図は、一挙に塗り替えられたのである。青銅器文化辺境の地とみなされてきた「出雲」。出雲に独自の文化圏が存在したのであろうか。研究者たちは色めきたった。

 

page.1-page.2-page.3

 

Copyright(C)2005ShimanePref.AllRightReserved

 


お問い合わせ先

広聴広報課

島根県政策企画局広聴広報課
〒690-8501
島根県松江市殿町1番地   
【電話】0852-22-5771
【FAX】0852-22-6025
【Eメール】kouhou@pref.shimane.lg.jp