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実事求是〜日韓のトゲ、竹島問題を考える〜

第9回

韓国独島研究センター批判

 

 韓国海洋水産開発院傘下の独島研究センターは4月16日、「独島は果たして日本の領土なのか?‐日本外務省「独島」広報資料に対する批判‐」(「海洋水産懸案分析」)を公表した。だがこの批判は、結論から言うと、韓国側自らが「独島は韓国領ではなかった」ことを証明した、貴重な証拠品となった。批判の最後で、「独島の領有権の主張は、大韓民国の完全な解放と独立を否定する行為」としているが、それこそが最大の偽りであるからだ。

 戦後、日本はソ連によって千島列島と南樺太、北方領土を奪われ、韓国には竹島を奪われた。殴った者は殴られた者のことを忘れると言うが、韓国側は1952年の「李承晩ライン」を口実に三千名近くの日本漁民を拿捕抑留し、解放を求める日本側からは国交正常化交渉の場で財産請求権の放棄と、在日韓国人の法的地位を認めさせる等の外交カードとした。

 今日、韓国側ではその事実を隠蔽し、竹島問題が浮上すると戦前の植民統治を口実に自らの侵略行為を正当化している。それどころか韓国側の領土的野心は竹島に止まらす、対馬島や中国東北部(高句麗史問題)にも及び、盧武鉉大統領時代は「東北アジア歴史財団」が先導し、新政権では「韓国海洋水産開発院」が新たに表舞台に登場することになった。

 今回、外務省が問題としたのは、韓国側には竹島の領有権を主張する歴史的権原がないという事実である。そこで指摘したのが柳馨遠の『東国輿地志』を引用した、1770年成立の『東国文献備考』の分註(「輿地志に云う、欝陵于山皆于山国の地、于山は倭の所謂松島なり」)である。韓国側はこの分註を根拠に竹島を于山島とし、欝陵島の属島としてきたが、原本には「一説に于山欝陵本一島」とあって、韓国側の論理破綻が明確となったからだ。

 これに対し独島研究センターは、『東国輿地志』では于山島と欝陵島を別々の島としていると反論して見せるが、それは竹島を于山島とし、欝陵島の属島としてきた論拠が崩れたことを塗抹する、姑息な手法である。問題は、『東国文献備考』の編者が、『東国輿地志』から「一説に于山欝陵本一島」の一文のみを引用し、于山島を「倭の所謂松島なり」と改竄した事実にあるからだ。では韓国側は何故、改竄された分註に固執するのだろうか。

 その分註は、「松島は于山島だ」とした安龍福の証言に依拠しているからだ。それが1711年、朴錫昌が『欝陵島図形』に「所謂于山島」と注記すると、鄭尚駿や金正浩等も于山島とし、韓国側ではそれを今日の独島としてきた。だが「所謂于山島」は独島ではない。「所謂于山島」は、北澤正誠が1880年に『竹島考証』で竹島とした竹嶼で、1882年の李奎遠の『欝陵島外図』でも竹島と表記されたチクトウである。独島は、韓国の版図外にあったのである。それを韓国側では、1900年の「勅令第四一号」の石島を独島とするが、根拠はない。独島の呼称が始まるのは1904年頃、日本人に雇われた欝陵島民が今日の竹島に渡ってからで、それ以前はリャンコ島と呼ばれていたからだ。1900年に石島とされた島の島名が、1904年から独島と呼ばれはじめた島に由来するはずはない。独島研究センターは自ら墓穴を掘ったのである。リャンコ島は1900年の時点でも、韓国の領土外にあったからだ。

 その無主の地であるリャンコ島を竹島と命名し、日本領に編入しても侵略とは言えない。だが日本領の竹島を1954年以来占拠し続ける韓国政府の行為は、明らかに侵略である。

(下條正男)


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