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実事求是〜日韓のトゲ、竹島問題を考える〜

第17回

昭和26年の「総理府令24号」と「大蔵省令4号」について

 

 新年早々の1月3日、韓国の朝鮮日報は「"独島、日本の島ではない"日本の法令発見」と一面トップで報じた。法令は1951年の総理府令24号と大蔵省令4号で、そこには日本から除外される島嶼として小笠原諸島、硫黄列島等とともに竹島の名が記されていたからだ。

 だがこの二つの法令は、日本政府が竹島を日本領から除外した証拠とはならない。1月7日付けの読売新聞が、外務省の見解として、「問題の法令は、占領当時の日本政府の行政権が及ぶ範囲が示されているだけであり、日本の領土の範囲を示したものではない」(北東アジア課)と伝えるように、1951年当時、連合国軍の占領下にあった日本は、竹島を行政上「日本の範囲から除かれる地域」に入れた、「連合国最高司令部指令第677号」の第3項を遵守しただけだからである。その指令も、第6項で「この指令中の条項はいずれも、ポツダム宣言の第8条にある諸島嶼の最終決定に関する連合国側の政策を示すものと解釈してはならない」と明記するように、領土の範囲とは関係がなかった。

 それを韓国の朝鮮日報が、総理府令24号と大蔵省令4号の一部分を拡大解釈し、"独島、日本の島ではない"と報じたのである。そこで慶熙大学名誉教授の金燦奎氏は、日本は1952年4月28日に発効したサンフランシスコ平和条約によって主権を回復した。上記の法令が最終的に改定されたのは、総理府令第24号が1961年7月8日であって、大蔵省令第4号は1968年6月26日であった。これは二つの法令の改定が、日本の主権回復のはるか後に成立したことを意味している。上記の連合軍最高司令部訓令第667号の場合とは違い、「軍政の影響を受けず、日本政府が独自の選択によって」行なったものだとし、「これら法令の発掘こそは独島問題に対して、我々の立場を有利にするもの」とまで、論理を飛躍させることになった。(1月6日付「世界日報」インターネット版)

 だが金燦奎氏の論理は、「連合国最高司令部指令第677号」を根拠に、この指令によって竹島が日本領から除外されたとする韓国側の解釈そのものに、修正を迫るものとなった。金燦奎氏の指摘どおり、そこには当初、除外される島嶼として、「一千島列島、歯舞群島(水晶、勇留、秋勇留、志発及び多楽島を含む)及び色丹島」、「二小笠原諸島及び硫黄列島」、「三欝陵島、竹の島及び済州島」等とあったが、1968年6月26日に改定された大蔵省令では、「小笠原諸島及び硫黄列島」外が消えているからだ。

 それは大蔵省令4号が改正された1968年6月26日は、米国が施政権を行使していた小笠原諸島と硫黄列島が日本に返還された日だったからである。この事実は、「連合国最高司令部指令第677号」の第3項で、行政上「日本の範囲から除かれる地域」とされた島々は、日本領としては除外されていなかったことの証である。現に「連合国最高司令部指令第677号」の第3項で、「日本の範囲から除かれる地域」とされた「北緯30度以南の琉球(南西)列島(口之島を含む)、伊豆、南方、小笠原、硫黄群島及び大東群島、沖ノ鳥島、南鳥島、中の鳥島を含む外廓太平洋全諸島」は、一部を除き日本の施政下に復帰している。すると残る領土問題は、現在ロシアとの間で係争中の北方領土問題と千島列島、竹島となる。

 今回、韓国側が総理府令24号と大蔵省令4号の竹島を問題にしたのを機に、「連合国最高司令部指令第677号」の第3項の竹島は、日本の領土から除外されていなかった事実が確認された。韓国側が竹島の領有権を主張する根拠が、また一つ消えたのである。

(下条正男)


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