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杉原通信「郷土の歴史から学ぶ竹島問題」

第27回李承晩ラインと竹島

 

昭和26(1951)年9月サンフランシコで締結された平和条約で竹島は日本領と決定しました。

竹島が日本の施政下に復帰することを祝って、同年11月に鳥取県境港市の鳥取県立境高校水産科の先生、生徒の一部が実習船「朝凪丸(あさなぎまる)」で竹島へ出かけています。

サンフランシスコ平和条約は翌昭和27年4月に効力を発しましたが、それに先立つ同年1月18日、韓国は李承晩大統領の海洋主権宣言で朝鮮半島周辺の公海上にいわゆる李承晩ラインを設定し、竹島はその中に取り込まれてしまいました。李承晩ラインは、周辺海域、とくに朝鮮半島南方の好漁場から日本を締めだそうとしたものだと考えられています。

日本と戦後誕生した大韓民国は、すでに漁業問題について協議を重ねていましたが、韓国側は一定の海域には日本漁船の進出を拒否することを主張し、日本は公海の自由に基づく自由な漁業を主張し平行線をたどっていたのです。竹島は、当初韓国の水産当局が考えた李ラインの案には入っていませんでしたが、政治的判断で竹島を含むように線引きしたといわれています。

李承晩ライン(韓国では平和線といいます)が発表されると、日本政府は1月28日公海上の違法な線引きに抗議すると共に、「韓国は竹島として知られる日本海の小島に領土権を主張しているかのように見えるが、日本国政府は、韓国のかかる僭称または要求を認めるものでない」としました。これに対して韓国は2月12日、前回お話ししたGHQのSCAPINや日本の漁船が竹島周辺12カイリに近かづくことを禁止した、いわゆるマッカーサー・ラインは韓国の竹島領有権を裏付け、確認していると主張しました。

こうした日本の抗議、韓国の反論が続いて日本国民も注目していた昭和28年5月、島根県の水産試験場所属の試験船「島根丸」が対馬暖流開発調査のため竹島付近を航行すると、韓国旗を掲げた動力船6隻、無動力船6隻が海藻や貝類を採取し、漁民も30人はいることを発見しました。日本政府はすぐ抗議しましたが、6月に島根丸が第2回目の調査に出かけると、竹島に人影が見えました。すぐこの情報は島根県や隠岐の関係者に伝わりました。この時、隠岐高校の市川忠雄校長は、水産科の教員や漁業関係者に学校の実習船「鵬丸(おおとりまる)で竹島の様子を調査して来るよう指示しました。当時水産科の教員で現在もご健在の岩滝克巳氏のお話や同行した新聞記者の記事によると、6人の朝鮮人がテント生活で海藻やアワビを採取しており、迎えの船を待っている状況でした。食べる物がなく困っているというので、米を与えると大変喜びアシカの料理で感謝の意志を表したそうです。

隠岐高校の鵬丸が島を離れた直後、島根県と海上保安庁の共同調査団も竹島へ到着しました。島根県庁の職員2名、島根県の警察官3名、海上保安庁の保安官25名が緊張の中、竹島に到着したのです。県職員が知事宛てに提出した報告書に6人の韓国人の名前も記され、「この島がどこの国の所属かはしらないが、毎年ワカメ刈りに来ている」と答えています。日本側は「この島は日本の島だからもう来ないように」と説明すると共に、「島根県穏地郡五箇村竹島」という標柱を建てました。平成20(2008)年2月22日島根県で「竹島の日」の式典が行われている時、韓国のインターネットに竹島(独島)の歴史に関する画像が載りましたが、その標柱をこの年の10月抜き去っている情景もありました。

この抜かれた標柱を目撃した人がいます。松江市加賀出身で現在下関市にお住いの伊達彪(たけし)さんです。伊達さんは下関の水産会社の底引き船の船長でしたが、昭和29年7月に対馬近海で李承晩ライン侵犯の罪で拿捕され、3年半も抑留されました。最初に釜山の警察に連行された時、これ見よがしに「島根県穏地郡五箇村竹島」という標柱が置いてあるのを目撃されたのです。自分が島根県出身者であったこと、故郷の加賀と海を隔てて直近にある隠岐の文字は今でも鮮明に覚えておられるそうです。伊達さんは抑留中、毎日日記をつけておられ、それを拝見しましたが、「相変わらず嫌な一日」、「本日も何ら得ることなし」等辛い刑務所での日々が綴られています。

昭和27年に設定され、昭和40年の日韓漁業協定で消滅するまでの13年間に、李承晩ライン侵犯で拿捕された日本漁船は300隻以上で、抑留者も4000人近くに及んだのです。ただ、竹島周辺で拿捕されたわけではありません。

李承晩ライン

李承晩ライン〔1952年1月〜1965年6月〕

(出典:藤井賢二「李承晩ライン宣布への過程に関する研究」『朝鮮学報』185号2002年10月)


(主な参考文献)

 ・川上健三『戦後の国際漁業制度』大日本水産会昭和47(1972)年

 ・田村清三郎『島根県竹島の新研究』島根県昭和40(1965)年

 ・「抑留竹島-李承晩ライン被害者の証言-」『山陰中央新報』平成19(2007)年7月15・16日


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