今までにいただいたご質問と回答
2009年 12月、2010年1月分
【質問1】
「沈興澤報告書」について当時の公文書(勅令第四十一号)では「石島」とされていることから、たとえ現地呼称が「独島」であっても正式な問い合わせならば「石島」と記載するのが普通と考えられる。沈興澤は「独島」というのを知らなかったんじゃないか。例えば、「外洋にあり100余里も離れている」という説明は知らないからこそ記載される内容と考えられる。初めから勅令41号でいう石島が独島であり遠くにある島だと知っていたらわざわざ説明等記載することはないと思う。
<回答>
1906年の鬱島郡守沈興澤の報告に「本郡所属独島は本郡の外洋百余里にあるが・・・」とあるのは鬱島郡の設置根拠である1900年の勅令第41号に「・・・区域は鬱島全島と竹島石島を管轄する事」とあったからだ、沈報告は大韓帝国が勅令第41号に基づいて独島を正確に統治範囲内として認識・管理していたことを示す証拠だ、とする議論に対し、御意見は、石島が独島なら政府への報告には法令上の名称である「石島」を用いるはずだ、位置についての説明も要らないはずだ、それだのに独島という呼称を用い、本郡外洋百余里にあるとわざわざ説明しているところをみると、沈興澤報告は勅令とは無関係だ、という御指摘だと思います。勅令の石島が独島でないことの説明が、また一つ補強されました。御意見ありがとうございました。(事務局:総務課)
【質問2】
田村清三郎『島根県竹島の新研究』1965に、(1)1953年3月4日に米国側は、竹島に対する韓国の領有権を承認した事実はないと発表した(p.118)、(2)「竹島を日本人がリアンクール島というのは、東島にある大きな岩窟を李朝時代に李安窟と呼んだから出た名前であると思われる」と韓国が主張した(p.143)とあるが、これらの根拠史料を教えてほしい。
<回答>
(1)1953年3月5日の参議院外務委員会・法務委員会連合審査会において、同年2月27日に米空軍司令官が竹島を韓国領と認めて爆撃演習を中止した旨の発表を韓国国防部がしたことに関する質疑が行われ、下田条約局長が、次のように述べています。
「この間の国防部の発表のありました直後に私アメリカ大使館員と会いましたのですが、念のため聞きますと、米大使館は一笑に付しておりました。これは余りにも明白な問題であつて取るに足らんという態度であつたのであります。<中略> 単に調査を求めて、そうしてその回答を待つておりましたが昨日回答がございました。内容はこれはただ軍で爆撃の演習を停止したというだけの事実の回答でありますので、追つて米国政府の見解はアメリカ大使館から正式にあることと存じます。」
「昨日回答がありました」という昨日が、御質問に係る田村氏の本の記述の1953年3月4日に当たりますので、上記の下田答弁の内容を指しているのかと思いますが、これ以上の情報は確認できません。
(2)『世界新聞』1951年12月3日付け記事〔釜山-KP〕「独島は韓国領土でこのことは総司令部覚書にも明記されていると韓国政府李公報処長談話発表」と題する記事中に、政府談話の報道に続き、「・・・歴史的に見れば、480年前の成宗大王2年(西紀1483年)以来、当時の政府の数次の調査の結果、李朝実録にはその発見者は永興の人、金自周という者で、島名は三峰島と命名されたと記されている。この島には東島に大きな岩窟があるが、李朝時代には李安窟または松窟とよばれ、・・・独島の国際的名称であるリアンクール列島という名は、前記李安窟から出た言葉だと見られる。」云々とあります。これが田村氏の記述の出典であれば、新聞社による解説で、韓国政府がそのように主張したということではないかもしれません。なお、Web竹島問題研究所ではこの記事の訳文(当時のメモ)を確認しましたが、『世界新聞』の原文は持っておりません。このコーナーの読者からの情報を求めます。(事務局:総務課)
【質問3】
内藤正中『竹島=独島問題入門--日本外務省「竹島」批判』2008, p.53は、戦後の竹島爆撃演習について「1953年3月19日韓米合同委員会の決定で指定が解除される」としているが、これは事実であろうか?
<回答>
著者に出典を照会したところ、内藤正中・金柄烈『史的検証 竹島・独島』岩波書店2007, p.202の金柄烈氏の説によるとの回答を得ました。この岩波書店の本には、「1953年3月19日第45次米韓合同委員会において爆撃練習場指定は解除されたのである」とあります。しかし、この記述は、米韓ではなく「日米」合同委員会の間違いだと考えられます。昭和28年4月4日外務省国際協力局長発島根県知事あて「島根県所在竹島爆撃訓練区域廃止に関する件」という通知文書の別添(二)に、「日米行政協定第二十六条に基く合同委員会 日時及場所昭和二十八年三月十九日東京都外務省ビル 第四十五回合同委員会議事録」云々とあります。日付と回次が一致します(この通知文書は県に保存されています)。そもそも、竹島の爆撃訓練区域というのは、日米安保条約・行政協定に基づいて日本が米軍に施設区域として提供したものですから、それを「米韓合同委員会」が解除するということはあり得ません。(事務局:総務課)
【質問4】
鄭秉峻『解放後韓国の独島に対する認識と政策(1945ー51)』(http://japanese.historyfoundation.or.kr/Data/Jnah/J5_2_A1_jap.pdf)p.7 に、韓国米軍政庁の文書を引用して、「米軍政当局は独島がすぐれた漁業前進基地として鬱陵島南西側(原文のまま)に位置する2つの小島から成っており、現在領有権が論争の的となっていると書いている。即ち過去においては日本の占領下にあったが、現在はマッカーサーラインにより韓国側の漁業区域に確定されており、この島の終局的な帰属問題は日々迫りつつある対日平和会談において決定される問題であるとまとめている」という記述がある。韓国の米軍政庁も領土はサンフランシスコ条約で決定すると考えており、韓国のSCAPIN677の解釈に対する有効な反論史料となると思われる。この史料について何かご存じであれば教えてほしい。
<回答>
貴重な情報をありがとうございました。御指摘の米軍政庁文書の原文を確認しました。該当文書は、U.S. Army Military Government - South Korea: Interim Government Activities, No.1, August 1947 と題する報告書で、その第1部予備的考察、第1節人口、11-18段落特別問題の18に、「従前日本に属していたが、日本と朝鮮の漁業水域を画する恣意的な線を引いた最近の占領指令はトクトを朝鮮ゾーン内に置いた。この島の管轄権の終局的処分は平和条約を待つ。Formerly belonging to Japan, a recent occupation directive which drew an arbitrary line demarcating Japanese and Korean fishing waters placed Tok-to within the Korean zone. Final disposition of the islands' jurisdiction awaits the peace treaty.」とあります。
この報告書には重要な情報が二つあります。第一は、韓国(大韓民国成立前なので朝鮮半島南半というのが正確かもしれません)を統治していた米軍政府が竹島の最終的処分は平和条約を待って決まることだという認識を示していること、第二は、同じくマッカーサーラインが恣意的に引かれた線だとしていることです。
竹島に対する日本政府の権力行使を停止したSCAPIN-677、竹島12海里以内に近づいてはならないとしたSCAPIN-1033には各々「ポツダム宣言第8項にある諸小島の最終的決定に関する連合国の政策を示すものと解釈してはならない」、「日本国の管轄権、国際境界線又は漁業権についての最終決定に関する連合国の政策の表明ではない」とありました。そもそも総司令部に領土の処分権があるわけではなく、領土の決定は平和条約によるべきものでした。それにもかかわらず、韓国では総司令部指令で竹島が韓国領に復帰したとか、大韓民国が成立した時点で竹島を韓国が統治していたという主張が行われます。総司令部当局者は、SCAPIN-677が発せられた直後に日本政府当局者との会談で、同指令は単なる連合国側の行政的便宜から出たものだ、この指令による日本の範囲の決定はなんら領土問題とは関連ない、これは他日講和会議で決定されるべき問題だ、と述べていたわけですが(2009年5月分の質問3への回答参照)、今回の報告書により、韓国の米軍政府もまた(当たり前のことながら)同様の認識であったことが確認されました。
マッカーサーラインが恣意的な線(arbitrary line、熟慮の末に引かれた線ではなく、思いつきで適当に引いた線)であることは、同ラインの起源からしてそうでした。占領開始に伴い一切の日本船舶の航行が停止されましたが、食糧難のため、1945年9月26日に日本政府が100トン以下の漁船は一定の海域で個別の許可なく操業できるようにしてほしいと総司令部に要請しました。これに対し、翌日米国第五艦隊司令官が許可回答をしました(川上健三『戦後の国際漁業制度』大日本水産会1972 第1章第1節)。回答では、日本海については、対馬の北端と北緯40度東経135度の点を直線で結んだ線が引かれていました。その結果竹島がちょうど掛かり、線外になってしまいました。この線が熟慮の結果引かれた(竹島の領有関係などを検討した)わけでなく適当に引かれたことは、許可が翌日下りていること、対馬は西側を回ることもできなかったことなどからも分かります。日本海の線は、翌1946年6月にSCAPIN-1033で修正され、その際にも竹島が線外に置かれますが、今回の報告書により、マッカーサーラインが恣意的な線であり、領土の帰属と無関係であることが、米軍側の文書でも確認されました。
この報告書は、(イ)米国国立公文書館(RG331)GHQ/SCAP Records, Adjutant General's Section = 連合国最高司令官総司令部高級副官部文書-Administration Division; Mail and Records Branch-Miscellaneous File, 1945-52-ボックス番号762,フォルダ番号6 <国立国会図書館のマイクロフィシュ請求記号AG(D) 03098>、(ロ)米国国立公文書館(RG407)Records of the Adjutant General's Office; Administrative Service Division, Operations Branch, Foreign (occupied) Area Reports 1945-1954 = 米陸軍省高級副官部資料/占領地域報告-Pacific Area-ボックス番号2002,フォルダ番号5 <国立国会図書館のマイクロフィシュ請求記号FOA 07078>などいくつかの記録に含まれています。重要な史料なので、(イ)の画像を掲載します。なお、この報告書の表紙に印刷された番号について、(ロ)のマイクロは、9月分の報告書がNo.24なのでNo.1ではなくNo.23の誤植であろうとしています。(事務局:総務課)
【質問5】
「韓国はサンフランシスコ講和条約の締約国でない。したがってサンフランシスコ講和条約に拘束されない。」とする主張がある。しかし、韓国は締約国ではないが同条約から利益を得られることが保証されている。そのひとつが第二条a項に記されている領土問題だ。「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済洲島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。」との条文を見る限り、カイロ宣言およびポツダム宣言で連合国が意図した処分は達成しており、韓国は利益を享受しているようにみえる。したがってこれを無視するわけにはいかないだろう。逆にいえば、これを無視するということは韓国の独立を自ら放棄することになるのではなかろうか。そしてこの条文に竹島が含まれていないのだから、竹島は日本領と確定しているのではないか。国際法学界の主流的見解は如何に。
<回答>
ご指摘のとおり、対日平和条約第21条は、「朝鮮は、この条約の第2条、・・・の利益を受ける権利を有する」と規定しています。また、これもご指摘のとおり、同条約第2条aには、日本による朝鮮の独立の承認、朝鮮の放棄を規定しております。そして、日本が放棄した地域から竹島が除外されていることは、日本の国際法学界の通説です。
対日平和条約第21条は、いわゆる「第三国に権利を創設した」規定と理解されています。条約は、第三国の義務又は権利を当該第三国の同意なしに創設することはない(条約法に関するウィーン条約第34条)とされていますが、これは、第三国が義務を負い、または権利を取得するには、当該第三国の同意が必要という意味ですので、条約により第三国の義務又は権利を定めることはあります。対日平和条約についていえば、第三国である韓国は、日本が朝鮮の独立を承認し、朝鮮に対するすべての権利、権原、請求権を放棄する、などの点で利益を受けることになります。しかし、条約は当事国のみを拘束しますので、対日平和条約自体に韓国が拘束されるわけではありません。当事国でない国は、権利を与える規定を謝絶することもできますし、とくに義務を課す規定があるとすれば、その義務規定には同意しないとすることもできます。そして、条約上又は慣習国際法上、一部について同意を与え、一部について拒否することを禁止する規定や、その旨を肯定した裁判例はありません。(中野研究委員)
【質問6】
産経新聞の報道によれば、北海道教職員組合が竹島問題に関して韓国側の主張が正しいとする機関紙を配布したようだ。我が国の公務員が組織する組合の機関紙であるから韓国側にとってはカードの一つになるだろうし、何より児童生徒への悪影響が懸念される。島根県として抗議してほしい。
<回答>
2008年7月に文部科学省は、中学校学習指導要領解説社会編で竹島について、「我が国と韓国の間に主張に相違があることにも触れ、北方領土と同様に我が国の領土・領域について理解を深めさせる」と記述しました。新しい学習指導要領が実施される2012年度からは全国の中学校で竹島が授業で扱われることになります。
また、2009末策定された高等学校の同地理歴史編では「中学校における学習を踏まえ」との記述が新たに入りました。文部科学省からはこの記述は高校においても「竹島」について中学校と同様の指導がされるという趣旨であるとの説明がされています。高等学校の新学習指導要領が実施される2013年以降は、全国の高等学校でも竹島問題について適切な指導がされると思われます。
竹島について北方領土と同様に扱われ、全国の子どもが竹島問題を正しく理解することは極めて重要であり、島根県としては、文部科学省に対し学校教育において竹島問題が適切に扱われるよう引き続き要望してまいります。(事務局:総務課)
【質問7】
竹島の漁業権に関する事務を掌るのは島根県だと思うが、1905年の編入以来、朝鮮人に漁業権が与えられたことはあるのだろうか。
<回答>
島根県は、1905(明治38)年2月22日に竹島を島根県の所管とする告示をした後、同年4月14日漁業取締規則を改正し、竹島でのあしか漁を許可漁業としました。そして、同年6月5日に島根県知事は中井養三郎外3名に対し、あしか漁業の許可をしました。以後、あしか漁業は、数年ごとに2名又は3名の個人に対し許可されました。この間、大正10年の漁業取締規則改正により、竹島周辺海域での海藻介類の採捕(いわゆる根付き漁業)を竹島でのあしか漁業者に限り許可することとしました。
戦後の一時期漁業は中断しましたが、サンフランシスコ講和条約発効後の昭和28年6月に島根県知事から隠岐島漁業協同組合連合会に対し共同漁業が免許され、橋岡忠重外2名に対しあしか漁業が許可されました。その後、共同漁業免許は10年ごとに更新されており、直近では平成15年9月に免許されています(2009年8,9月分質問5参照)。
このように1905年以降現在に至るまで、竹島でのあしか漁業、共同漁業は、いずれも日本人に許可、免許されています。(事務局:総務課)

