今までにいただいたご質問と回答
2009年 10,11月分
【質問1】
報道によれば韓国政府の要請で世界で1000件もの独島、東海への表記変更が行われているとのこと(『産経新聞』平成21年10月15日)。由々しき問題だ。日本政府がこのまま何の対応もしなければ世界は韓国の言っていることが本当なんだということになって取り返しのつかないことになってしまう。即刻韓国にクレームすると同時に日本に何の確認もせずに変更してしまった外国政府に元に戻す要請をすべきだ。
<回答>
情報をありがとうございます。日本政府(外務省)は、しかるべく対応しているものと思います。竹島の所属する島根県としても一般的な啓発活動に努めます。(事務局:総務課)
【質問2】
北海道在住の者です。北方領土と竹島の扱いが、なぜこんなに違うのか大変疑問に感じる。マスコミにも同じことを感じる。このことを、声を大にして発信できないか?
<回答>
ときに北方領土は千葉県と同じ広さで17,000人住んでいたが竹島は東京の日比谷公園くらいの大きさだ、といった"比較"がなされることがあります。しかし、領土の問題は島の大小ではなく主権の問題です。日本の領土が他国によって占拠されている状態であることにおいて北方領土も竹島も同じなので、多くの国民に自分のこととして関心を持っていただき、政府にもいっそうの取組を期待したいと思います。(事務局:総務課)
【質問3】
ある県議会議員のホームページに、隠岐の水若酢神社に関し、「因みに竹島はこの水若酢神社(忌部宮司)の氏子区域であるという。」との記述があった。この神社に関する逸話などあれば教えてほしい。「竹島」は現竹島なのか、それとも磯竹のことであろうか。
<回答>
水若酢神社については、比較的新しい図書として水若酢神社編(大西俊輝氏執筆)『水若酢神社』学生社2005 がありますので、逸話などはこの本をご参照ください。ただ、竹島が神社の氏子区域であるというのは、(現)竹島も水若酢神社も行政区域的に旧穏地郡五箇村に属するというような意味ではないかと思われます。(事務局:総務課)
【質問4】
1900年の「大韓帝国勅令第41号」は領域主権を主張したものと言えるのであろうか。どの島のことか不明確なままそれを拠り所として領域主権を主張しているとは思えない。国際法を理解しているなら1905年に日本が行ったように「無主地の先占」など根拠を示すのではないか。「大韓帝国勅令第41号」を根拠として領域主権の主張が可能とする論があるなら、どのような論理が展開されているのか知りたい。
<回答>
駐日韓国大使館の「獨島に対する大韓民国政府の基本的立場」には、「20世紀に入って大韓帝国は、光武4年(1900年)「勅令第41号」により、石島、即ち獨島を鬱陵郡の管轄下におく行政措置を通じてこの島が我が国の領土であることを明確にした。1906年、沈興澤鬱島(鬱陵島)郡守は島根県の官民で構成された調査団から、獨島が日本に領土編入されたことを知り、直ちに江原道観察使に「本郡所属獨島が...」と上申書で報告した。これは大韓帝国が「勅令第41号」(1900年)に基いて獨島を正確に統治範囲内として認識・管理していたことを示す証拠である。」とあります。また、北東アジア歴史財団の「日本外務省の独島領有権主張に対する反駁文」には、「「大韓帝国勅令第41号(1900年)」を通じ、独島の行政区域を再編する等韓国の独島に対する領有権は確固たるものであった。従って、1905年当時、独島は無主地ではなかったため、日本の独島編入措置は、国際法上、不法である。」「大韓帝国勅令第41号(1900年)は、それ自体が、独島に対する韓国の実効的支配の証拠を明確に示している。」とあります。同じ機関の英文パンフレット「Dokdo: Korean Territory Since the 6th Century」(2006)には、「韓国は勅令第41号により欝陵島の行政レベルを郡に格上げし、欝陵郡庁が欝陵島並びに竹島及び石島に管轄権を持つことを確立した。(中略)勅令は官報にも掲載されたので、日本は当時、韓国が独島に領土権を持つことを知らなかったとは主張し得ない」という趣旨の記述があります。
これらの議論を法的に整理すれば、勅令の石島が"独島"(竹島)であることを前提に、また韓国が歴史的な権原を有することを前提に、勅令で行政管轄を定めることによって"独島"に対する領有権を確立した、"独島"は無主地ではなかったから日本による領土編入は無効である、という主張のように見えます。しかし、上記二つの前提が証明されていません。また、仮に勅令の石島が"独島"であるとしても、勅令の前後に韓国が竹島に対して何らかの占有の所為を行ったことが証明されていない(主張もされていない)ことから、勅令によって竹島に対する韓国の領有権が確立したとは言えません。(事務局:総務課)
【質問5】
明治時代の『地学雑誌』に「日本海中の一島嶼(ヤンコ)」という記事があるようだが、どのような内容なのか。
<回答>
『地学雑誌』13輯148巻(明治34年5月15日)p.251の記事で、内容は、東京発行の各新聞に韓国欝陵島の東南三十里日本国隠岐の西北同里数の海上に未知の一島嶼が発見されたという記事が載った、海図には載っていないが島の存在は確実で現に欝陵島にいた日本人は晴天の日山の高所より東南を望めば遥に島影を認めたという、発見の歴史は一両年前九州辺の一潜水器船が魚族を追って遠く海中に出たところ見慣れない所に一島嶼を発見、周辺は魚族の棲息が頗る多かったが海馬数百群を為して潜水器船をはばんだので引還したという、日韓漁民これを指してヤンコと呼ぶという、想うにこの島はLiancourt rocksに符合する、参照のために朝鮮水路誌第二版(明治三十二年水路部刊行)二六三頁よりリアンコート島に関する記事を抄録する、云々というものです。
明治34年といえば、中井養三郎が"リヤンコ島"でアシカ漁を始める直前の時期に当たりますが、「九州あたり」の漁船が赴くこともあり、その方面の人にとっては未知の島だったということでしょう。地学雑誌は、CD−ROMによる復刻版も出ています。図書館等でご確認ください。(事務局:総務課)
【質問6】
SCAPIN 677号はこれを改廃する新たな取り決めのない限りサンフランシスコ講和条約発効後も当然にはその効果を失わない、とする議論がある。この考え方は成り立つのだろうか。占領の終了とともに占領軍の発した命令等は自動的に無効となる国際慣習法が働くのではないか。
<回答>
日本は、1945年9月2日に「降伏文書」に調印しましたが、この条約に「天皇及日本国政府の国家統治の権限は本降伏条項を実施する為適当と認むる措置を執る聯合国最高司令官の制限の下に置かれるものとする」とありました。つまり、主権が制限されることになりました。しかし、サンフランシスコ平和条約の効力発生(1952年4月28日)により、日本は主権国(独立国)としての地位を完全に回復しました。これにより、連合国最高司令官(総司令部)の指令(措置)は、平和条約の中に取り込まれたものや国内法令として制定したものが内容的に引き続き行われることは格別、指令それ自体は当然に終了、失効しました。SCAPIN-677についていえば、これこれの地域に対して日本政府が政治上行政上の権力を行使してはならないというこの指令が独立の回復により失効したことは明らかです。指令に掲げられた地域のうちあるものは平和条約により日本が領土権を放棄しました。放棄した地域に対して権力行使ができないことは、SCAPIN-677の効力が存続しているからではなく、平和条約を締結した結果によるものです。竹島は、平和条約で日本が放棄した地域ではないので、この島に対する日本の領土主権に変動はなく、独立の回復(すなわちSCAPIN-677の失効)とともに日本政府の管轄権も回復したわけです。なお、設問にある議論に即してみた場合にも、平和条約それ自体がSCAPIN-677の内容を変更する別途の措置だと言うことができます。(事務局:総務課)
【質問7】
韓国は、竹島編入が秘密裏に行われたと主張しているが、竹島編入から2ヶ月も経たない1905年4月15日発行の『地学雑誌』196号に竹島編入の記事が掲載されている。これは、竹島編入が何ら秘密でなかったことの証左であると思うがいかがであろうか。
<回答>
竹島の領土編入は、1905年1月28日の閣議決定による国家の領有意思の確認後、同年2月22日の島根県告示でその領有意思が公示されました。閣議決定と地方庁による告示が竹島についてだけ採られた方式ではなく(1898年の南鳥島の場合のように)当時日本が慣行とした方式であることは、1954年2月10日および1956年9月20日の日本政府見解が指摘していることです。編入は、『山陰新聞』紙上でも報じられました(1905 年2月24日付け記事)。島根県の告示や山陰新聞の記事が地方的なものだから「秘密裏」だという主張であるとすれば、まさに御指摘の『地学雑誌』の記事や『日露戦争写真画報』第25号(1905年6月20日)p.35の「ああ竹島」という記事などは、全国的な媒体によるものです。なお、領土取得要件としての領有意思の公示は、対外的に宣言する、告示するなどのように「明示的に」行われるほか、「黙示的に」行われる場合もあります。領土編入後に行われた島根県による実地調査、認可をうけた日本国民による漁業など一連の行為は、実効的占有の証拠であると同時に領有意思の公示にもあたるでしょう。(事務局:総務課)
【質問8】
3年ほど前に海外に移住したが、以前にも増して日本の問題への関心の高まりを実感している。竹島問題もその一つだ。提案だが、広く日本の全国民に竹島の現状を認識してもらうにはマスコミに訴えかける方法がよい。TBS東京マガジンの「噂の現場」で竹島の現状を訴える、TV朝日「TVタックル」、TBS「朝ズバ」そのほか政治問題を取り上げる番組に知事自身が出演する、日本の中心の東京でフォーラムを開催する、予算があれば新聞に竹島問題の全面広告を載せる。とにかくマスメディア戦略を考えないと一般国民への認識浸透はできない。県のホームページだけでは無理だ。私自身初めて見た。
<回答>
御意見と具体的な提案をありがとうございます。今後の取組の参考にさせていただきます。(事務局:総務課)
【質問9】
1957年2月28日の『東亜日報』に載った黄相基の記事「独島領有権 1」の中に、 「1727年(英祖3年)、三陟営将李萬協が倭学、崔萬廸ほか98 名を率いて4月11日に出発し5月2日に竹邉津に回着したという記録」がでてくるが、これは韓国側が主張していることが聞いたことがない。ひょっとすると鬱陵島図形の様に、何が韓国側に不都合なことがあって隠しているのではないか?
<回答>
黄相基氏が東亜日報に連載した記事は、他の論考と合わせて図書になっております。黄相基『獨島領有権解説』勤労学生社 1965 。この本のpp.30-31「五 韓国の捜討管理と日本の国交厳守」では、御指摘に係る"英祖3年の捜討"の記事の出典として「雍正五年丁未捜討記」と記しています。これは、朝鮮王朝実録のような編纂された記録ではなく単独の文献(文書、記録)だろうと思われますが、目下、これ以上の情報を持ち合わせません。このコーナーの読者から情報を頂戴できれば幸いです。(事務局:総務課)
【質問10】
朝鮮日報2009年11月16日ウェブ版に、「独島」は日本領でないとする1946年の大蔵省法令が発見されたとする記事が載った。記事によれば、韓国の朴宣映議員が日本の官僚から入手した「1946年8月15日大蔵省告示654号」で、竹島が朝鮮、台湾、サハリン、千島列島、南洋群島などとともに外国に規定されていたという。今年初めに話題になった1951年の大蔵省令4号と同じようなことかと思うが、どうか。
<回答>
韓国では決定的資料だというような報道がなされているので、少し詳しく説明します。
『朝鮮日報』記事にいう昭和21年大蔵省告示第654号は、「会社経理応急措置法施行令第25条第1号の規定によつて、外国に含むべき地域を次のやうに指定する。一 朝鮮、台湾、関東州、南洋群島及び樺太/二 千島列島/三 小笠原諸島及び硫黄列島/四 竹島/五 北緯三十度以南の南西諸島/六 大東島、沖の鳥島、南鳥島及び中の鳥島」というものです。この告示にある会社経理応急措置法施行令(昭和21年勅令第391号)第25条は、会社経理応急措置法(昭和21年法律第7号)を受けて、同法にいう「在外資産」の範囲を定め、在外資産とは、「一 外国(大蔵大臣の指定する地域を含む。以下同じ。)にある動産、不動産及びこれらのものに関する権利」(以下、鉱業権・漁業権、債権・預金、出資、有価証券、著作権・特許権、銀行券・貨幣など)をいうとしています。会社経理応急措置法というのは、政府が昭和21年8月12日に発表した「補償打切り並に経済再建に関する政府声明」により、戦争に際し政府の措置や政府企業間の契約に基づいて政府が負っていた債務(軍需企業に対する戦争損害保険金等)の支払いを打ち切ったことを受けて、「戦時補償金等の交付を受け、若しくはその交付を受ける権利を有し、又は在外資産を有する資本金二十万円以上の会社」など一定の会社を「特別経理会社」とし、特別経理会社の経理を昭和21年8月11日午前零時の前後で区分し、旧勘定と新勘定に分離して経済再建を図る等のことを内容とする法律です。
要するに、会社経理応急措置法という法律により戦後の経済再建のために特別の勘定を設定する会社を定義するなかで在外資産の有無を基準の一つとし、それを受けた勅令で在外資産を「大蔵大臣の指定する地域を含む」外国にある財産等と定義し、大蔵省告示で「外国に含むべき地域」を指定したわけです。
さて、勅令が「大蔵大臣の指定する地域を含む」外国といい、大蔵省告示が「外国に含むべき地域」といっているように、大蔵省告示に掲げられた地域は、外国ではなく、会社経理応急措置法における「在外資産」の文脈で外国として取り扱う地域です。大蔵省告示で指定された地域には、いわゆる外地もあれば府県に属する内地もありますが、1946年1月29日の連合国最高司令官総司令部覚書677号「若干の外郭地域を政治上行政上日本から分離することに関する覚書」(SCAPIN-677)により日本政府による行政権行使が停止された結果、そこにある資産が活用できなくなったため、在外資産の文脈では、(外国ではないけれども)外国として取り扱うということです。したがって、大蔵省告示が竹島を外国と規定したとするのは誤りです。
また、SCAPIN-677では、第3項aで「欝陵島、竹島、済州島」と規定し、第4項cとして「朝鮮」を規定していたのに対し、大蔵省告示の第4号では「竹島」だけを掲げ、第1号で「朝鮮」を掲げています。これは、SCAPIN-677第3項aの地域のうち欝陵島と済州島は、大蔵省告示では第1号の朝鮮に含めているということです。つまり、SCAPIN-677では、単に地理的に外郭地域として欝陵島、竹島、済州島を挙げたけれども、大蔵省告示では欝陵島、済州島については外地(朝鮮)として規定し、竹島は内地(島根県の一部)であるので区別して規定したのです。このことからしても、大蔵省告示が竹島を外国と規定したなどということは決してできません。
なお、SCAPIN-677は、周知のとおり同指令自体に、ポツダム宣言第8項にある諸小島の最終的決定に関する連合国の政策を示すものと解釈してはならないという規定があり(第6項)、同指令が出された直後に行われた日本政府当局者と総司令部との会談においても、同指令が領土の決定と無関係であることが総司令部当局者の言として確認されています。領土の決定は1951年9月8日の平和条約によって行われ、竹島については(大蔵省告示にある小笠原諸島、南西諸島などもそうですが、)日本が保持することになりました。竹島問題研究会最終報告書の研究レポートと2009年5月分の質問3への回答を参照してください。また、質問にある1951年の府省令のことについては2008年12月分の質問4をご覧ください。(事務局:総務課)

