今までにいただいたご質問と回答
2009年 4月分
【質問1】
韓国がイ・スンマン大統領時代、日本が独立回復前で対外発言が制限されていた時代に竹島をイ・スンマンラインの内側に取り込んで、〔その後〕強引に警備隊を上陸させ、建造物を建て、"実効支配"を申し立てている。日本から奪取したことは韓国自身も分かっているはずであるにも拘らず、自国民にいかにも正当な支配であるかのように教育や宣伝をして、ますます自国領意識を増幅させ、反日材料に利用している。穏やかな国でありすぎる日本。暴力は許されないが、こと領土に関してはいま少し意識を高めたいものと思う。
<回答>
ご意見をありがとうございます。領土に対して意識を高めるべきことは、ご意見のとおりです。その意味でも歴史的経過など領有権の根拠を理解し、相手国がどのような理由で領有権を主張しているのかも知り、お互いに事実に即して議論することが必要だろうと考えます。(事務局:総務課)
【質問2】
高橋公明「合成された地図--山口県文書館所蔵朝鮮八道総図」『東アジア海域史研究における史料の発掘と再解釈ー古地図・偽使史料・文学表現ー』(文部科学省科学研究費補助金研究成果報告書2008年3月刊行)に紹介されている朝鮮古地図の情報を求む。特に山口県文書館のホームページ上の目録に「萩藩当職山内広通と浜崎代官清水親全の命により描いた彩色図絵図」とある『朝鮮八道総図』、同じく「長井半左衛門組九郎右衛門より差出候写也とある彩色図」とされる『朝鮮国之図』の鬱陵島部分をカラー画像で見てみたい。
<回答>
ご質問にある山口県文書館所蔵の絵図については、Web竹島問題研究所でも関心を持っております。朝鮮八道総図については、ご指摘の高橋論文以外に、河村克典「朝鮮漂着民との関連で作成された朝鮮図」『山口県文書館研究紀要』24(1997)pp.1-17が、朝鮮国之図については、河村克典「山口県文書館蔵朝鮮国之図」『山口県文書館研究紀要』25(1998)pp.1-18が、それぞれ詳しく紹介しています。河村論文によれば、朝鮮八道総図には、隠岐の付近に「此湊ヨリ天気定竹嶌エ乗ル 凡百五十里余有之ト云」との記事、鬱陵島付近には「元禄六年伯耆国磯竹源左衛門ト云者竹島ヲ見出シ申之由是ヨリ伯耆出雲因幡之猟人参猟仕候所ニ其節朝鮮人も参双方論シ依之江戸御注進相成候所ニ対馬より朝鮮えも段々被取遣り有之終ニ朝鮮之鬱陵島ニ相決シ候事」との記事がそれぞれ記載されている由です。鬱陵島の中にも、山頂からの歩数、新増東国輿地勝覧と同様の記事、今は無人島である旨の記述等があると承知します。また、于山島が鬱陵島の西側に描かれているものの注記はない(朝鮮国之図には于山島そのものが描かれていない)ようです。写真は、今当方からネット提供できるものはありません。(事務局:総務課)
【質問3】
竹島が我が国固有の領土であるという≪概念=事≫はその概念にふさわしい≪概念の形代=モノ≫即ち≪概念場≫に磐石に貼り付けないと永い間に徐々に希薄化し、ついには国民の大多数が全く関心を持たない実質的に消滅したに等しい事態を迎える。〔逆に〕嘘の概念でも記念館のような概念場を建設すると人間の脳に実体的に認識させ、その嘘を脳の真実認識にしてしまう。我が国も社会現象認識学の知恵を駆使して対策に取り組む必要がある。竹島が日本領土であることを明示する映像、モニュメント等を世界中に配信配置して対抗すべきである。
<回答>
ご意見ありがとうございます。確かにモノがあると身近に感じるということがあると思います。世界中にとはまいりませんが、松江駅、出雲空港等への広告塔の設置のほか、啓発ビデオの制作、いわゆる竹島グッズの製作などを進めています。(事務局:総務課)
【質問4】
竹島に関する島根県の積極的な活動を評価する。先人が命をかけて守りぬいた日本の領土である。私も微力ながら声を出したいと思う。署名活動など情報があれば連絡してほしい。皆様の活動が成功することを祈っている。
<回答>
応援をいただきありがとうございます。署名活動につきましては、日本青年会議所が"「北方領土の返還及び竹島の解放」と「国境・離島を守るための政策の策定」を訴える署名運動"を展開していますので紹介します。http://www.shomei.tv/project-652.html (事務局:総務課)
【質問5】
杉原通信第8回において、"竹島外一島之儀本邦関係無之"という太政官の文書に関連して、明治16年に内務省が各府県長官に宛てて出した通達に「日本称松島一名竹島朝鮮称蔚陵島ノ儀ハ」とあること、及び、島根県からの「日本海内松島開墾之儀ニ付伺」をめぐり明治14年に行われた内務省外務省間往復文書に「朝鮮国蔚陵島即竹島松島之儀ニ付」とあることが紹介されている。この〔松島=竹島=鬱陵島という〕認識は、外務省北沢正誠が編纂した『竹島考証』の認識つまり「然ルトキハ今日ノ松島ハ即チ元録十二年称スル所ノ竹島ニシテ古来我版図外ノ地タルヤ知ルヘシ」と同じであり、1882年2月16日付け外務卿井上馨から太政大臣三条實美への「朝鮮蔚陵島の件」や韓国の国史編纂委員会の「韓国史データベース」に掲載されている1900年6月12日付け在釜山領事官補赤塚正輔の「鬱陵島調査概況及び山林調査概況報告の件」においても確認できる(http://db.history.go.kr/url.jsp?ID=jh_014r_0130_0470)。明治14年の内務省外務省往復文書とそのもとになった島根県令境二郎の「日本海内松島開墾之儀ニ付伺」を原本とともにもう少し詳しく解説していただきたい。
<回答>
このQ&Aコーナーの読者のために簡単におさらいをすれば、明治9(1876)年10月に島根県が内務省に「竹島外一島地籍編纂方伺」を提出したのに対し、内務省は太政官の決裁を受けた上、明治10(1877)年4月に竹島外一島は本邦無関係と心得よという返答をしました。ここでいう竹島は鬱陵島を指すことが文脈から明らかで、ほか一島は島根県の提出した添付資料から「松島」であることが知られます。もし松島が現在の竹島のことであれば、当時の政府はこの島を本邦無関係と判断したことになるというのが問題の所在です。
質問者ご指摘の、明治14(1881)年の内務省外務省往復文書は、島根県からの「日本海内松島開墾之儀ニ付伺」の写しともども、外務省外交史料館所蔵の文書綴り『朝鮮國蔚陵島へ犯禁渡航ノ日本人ヲ引戻處分一件 自明治十四年七月至明治十六年四月』外務省記録3-8-2-4(3門8類2項4号)に含まれています。
この内務省外務省往復文書は、堀和生「一九〇五年日本の竹島領土編入」『朝鮮史研究会論文集』24(1987.3)pp.97-125 が初めて紹介しました。堀論文は、松島が現在の竹島であることを前提に、「...内務省が竹島と松島を版図外とした先述の太政官の指令書きを付して、外務省に欝陵島の現状を照会したことがあった。それに対して、外務省は何ら全く異論を申したてていない。」としてこの往復文書を挙げています。これに対し、塚本孝「竹島領有権紛争の焦点-国際法の見地から」平成19年10月17日島根県高等学校地理歴史・公民科教育研究会研究大会講演(『竹島問題に関する調査研究報告書 平成19年度』島根県 2008.7 pp.71-82に収録)は、外務省の回答文中に「朝鮮国の鬱陵島すなわち竹島松島のことについては」とあるので「松島」は現在の竹島のことではなかろうとしました。
いずれの主張が正しいにせよ、広く検討が行えるように、外交史料館の前述の文書綴りにある一件文書--内務権大書記官西村捨三発外務書記官あて照会(明治14年11月29日)、同 別紙甲号(太政官指令、明治10年3月29日)、同 別紙乙号(日本海内松島開墾之儀ニ付伺、明治14年11月12日)、外務省の返信起案文書(明治14年12月1日付け、11月30日起草)--を、準備ができしだいWeb竹島問題研究所ホームページに掲載したいと思います。(副所長:杉原隆)
※外交史料館所蔵史料『朝鮮國蔚陵島へ犯禁渡航ノ日本人引戻処處分一件 自明治十四年七月至明治十六年四月』の一件文書の画像と解読文を掲載しました。杉原隆竹島問題研顧問のレポートをごらんください。(2009年11月6日追記)
【質問6】
外務省のホームページにある「竹島」欄とWeb竹島問題研究所とがリンクするように外務省公聞室に提案した。外務省HPで何度か竹島欄を見たがWeb竹島問題研究所の存在は知らなかった。外務省HPからのリンクは国民啓蒙にとっても重要である。
<回答>
外務省HPからのリンクをご提案くださったとのこと、ありがとうございます。Web竹島問題研究所のホームページには、「竹島問題に関する調査研究 最終報告書(平成19年3月)」を始めとして、竹島問題を理解する上で有益な情報が多数載っていると考えておりますが、コンテンツの充実に加え、ホームページそれ自体の存在をもっと知っていただけるよう今後とも工夫してまいりたいと存じます。(事務局:総務課)

