今までにいただいたご質問と回答
2009年 3月分
【質問1】
Web竹島問題研究所の「調査研究成果・報告」-「研究スタッフ・協力員からの報告」のページ〔2007年9月28日〕の項に出ている英国海軍の海図「日本西部沿岸:油谷湾至安島崎(付隠岐諸島・若狭湾)」について、この海図にどの艦がいつ測量したか書いてあれば教えてほしい。
<回答>
この海図は1897年(明治30年)に刊行されもので、標題は、JAPAN/NIPON-WEST COAST/ABURATANI BAY TO ANDO ZAKI/INCLUDING/OKI ISLANDS AND WAKASA BAY/FROM JAPANESE GOVERNMENT CHARTS となっています。これ以上の情報は、この海図上にはありません。「日本政府の諸海図より」とあるので海軍水路寮(水路部)の発行した複数の海図を参照して作成したということでしょう。明治30年以前の西日本方面の海図と突き合わせ、水路誌等を見ていけば測量者・時期もある程度わかると思われますが、今後の課題とさせていただきます。(事務局:総務課)
【質問2】
Web竹島問題研究所のトップページにリンクのある「亜細亜小東洋図」の説明文に、「隠岐諸島(地図には「オヤ」とあり)の北西に、松島(地図には「松シ」とあり、現在の竹島)と竹島(地図には「竹シマ」とあり、現在の鬱陵島)を描く」とあるが、何がなにやらよくわからない。この島は昔こう呼ばれていたが今の名称はこうだ、いつごろから今の名称に変わった、というように説明してほしい。
<回答>
「亜細亜小東洋図」は、長久保赤水の『唐土歴代州郡沿革地図』という地図帳にふくまれている図で、写真は、ホームページの説明にあるとおり邑南町個人所有の安政4年(1857年)刊行のものです。この地図には、寛政元年(1789年)刊行の初版、天保6年(1836年)刊行の再版もあります。初版、再版では、山陰地方沖合の日本海に、日本に近いほうから順に「ヲキ」、「松シマ」、「竹シマ」の三島を描いています。「ヲキ」は隠岐のことです。江戸時代には今日の竹島を松島、鬱陵島を竹島と呼んでいたので(「杉原通信」第7回を御参照ください)、松シマ、竹シマは、それぞれ今日の竹島、鬱陵島を指します。安政4年版は版木も別で隠岐をヲヤ、松島を松シとしていますが、これは書き損じであり島名が変遷したわけではありません。今般、出雲市在住の方から天保6年版を見せていただきました。近く写真をホームページに掲載しますのでご覧ください。
なお、寛政元年版、天保6年版、安政4年版とも、松島、竹島を本州と同じ色に彩色していることがポイントです。長久保赤水の「改正日本輿地路程全図」(1779年)では竹島、松島に彩色が施されておらず日本の領土外とされているとの主張がありますが、同じく赤水の作成した「亜細亜小東洋図」では日本と同じ色に彩色されているので赤水が日本領土外だと認識していたことはないと言えます。(事務局:総務課)
【質問3】
朝鮮古地図で于山島に山の模様が描かれているものがあるから于山島は竹嶼ではなく独島(竹島)だという保坂教授の説が「事実求是」第18回で批判されているが、保坂説の批判としては「藪太郎」氏の検証http://outdoor.geocities.jp/yabutarou01/a/newpage2.html が非常に理にかなっており、説得力がある。
<回答>
多くの方が検証し、おのずと合理的な結論に至るということだと思います。よい情報をありがとうございました。(事務局:総務課)
【質問4】
朝鮮の古地図では于山島は鬱陵島の東に描かれているように思う。これは例外なく東に描かれているのだろうか。竹島のある方角である南東に于山島あるいは他の島が描かれた地図があるのだろうか。朝鮮の古地図を見ていると距離や大きさについては正確さを欠くところもあるが、方角は比較的正確に表現されているように思う。もし例外なく于山島が鬱陵島の東沖合に描かれ、南東に島が描かれていないなら、竹島を自国領と認識していなかった証となるのではないだろうか。
<回答>
朝鮮古地図にはさまざまな系統のものがありますが、「于山島」関係では、『新増東国輿地勝覧』の「八道総図」のように時代的に古い絵図で朝鮮半島と鬱陵島の間に于山島を描くものと、18世紀以降の比較的新しい絵図で鬱陵島の東側に于山島を描くものがあります。
前者は、「于山国」が鬱陵島にあったことが伝承の混乱から于山島と鬱陵島があるという記述を生み、その記述を図示した(記述の順番に陸地から近い所に于山島、その先に鬱陵島を描いた)もので架空の島だと考えられます。後者は鬱陵島に巡検使が訪れるようになり鬱陵島についての知識が増進した結果生まれたもので、鬱陵島の東側2kmの沖合にある島(竹嶼)を于山島として描いたものと考えられます。
いずれにせよ、現在の竹島とは無関係だというのが我々の認識です。朝鮮古地図に現れた于山島について、詳しくは、『竹島問題に関する調査研究--最終報告書』pp.103-131舩杉力修「絵図・地図から見る竹島(II) 1 韓国側製作の絵図の分析」をご覧ください。(事務局:総務課)
【質問5】
2009年3月9日の朝鮮日報日本語版によると、韓国の白珍鉉(ペク・ジンヒョン)ソウル大国際大学院教授が、国際海洋法裁判所(ITLOS)の裁判官に選出され、当選直後の記者会見で、韓国が日本との間の独島問題や、中国・日本との間の排他的経済水域画定問題などの国際紛争を解決するに当たり、「関連諸国との交渉を通じ解決するが、必要な場合には司法的解決を追求することも避けるべきではない」と指摘したそうである。これを機会に国際裁判で白黒はっきりさせたいものだ。
<回答>
御意見ありがとうございます。ニューヨーク特派員発として御指摘の報道があったことを承知しています。国際紛争が外交交渉によって解決されないときに司法的解決の道を追求することが考えられることはそのとおりです。この報道では、「独島」(竹島)への言及が記者による文なのかペク教授の発言なのかはっきりしませんが、国際裁判により竹島問題の解決を図る機運が韓国において高まることを期待したいと思います。(事務局:総務課)
【質問6】
韓国のメディアによると日本国内において竹島問題に関連して郵便物の問題が発生したそうである。「独島管理事務所」宛てに日本国内から郵便物が出されたが、あて名不完全(日本の領土である竹島を韓国という住所表記にした)により日本郵便大阪国際支店は差出人に返却した。しかし翌日に「国際間で紛争中なのに日本の領土と断定して郵便物を韓国に送らなかったのは間違い」と差出人に説明したそうだ。これは日本の郵便機関が竹島を日韓で紛争中の領土と認めたということであろうか。客観的に見て「紛争中」ではあろうが、日本の領土と断定しないことで我が国に不利な事例とならないか不安である。何かの郵便に関する国際法に基づいたものだろうか?
<回答>
御質問にある話は、日本国内で発行されている『統一日報』2009年2月25日4面の記事を韓国の中央日報が紹介したものです。「国際間で紛争中なのに日本の領土と断定して郵便物を韓国に送らなかったのは間違い」と差出人に説明した云々は、差出人が聞いたという話を新聞記者が又聞きしたことなので、ここではそのような事実があったという前提で議論することは差し控えたいと思います。
一般論ですが、まず、御指摘のように竹島の領有権をめぐり日韓両国間に紛争があることは事実です。紛争の存在は客観的に判定されるものであり、韓国政府がかつて行った「自国の領土だから紛争は存在しない」という主張は成り立ちません(2008年8月分質問3への回答をご覧ください)。次に、他国間の紛争について一方当事国の領土だと断定することが憚られることはあっても、日本の領土問題について日本の公私の機関が「日本の領土だと断定」してはならないということはないし、万国郵便条約上、表示のいかんを問わず紛争地あての郵便物を受け付けなければならないといった規則もないと思います。
ただ、郵便業務は本来「諸国民間の通信連絡を増進する」ものであり(万国郵便連合憲章前文)、領有権紛争に対する国家の立場が別途明確な形で表明されている限り、個別の郵便物の受付や配送のような事務上の取り扱いによって領有権紛争上不利になることはないと思われます。(事務局:総務課)

