古代出雲歴史博物館 展示構成
プロローグ 「マルコポーロの黄金の島は銀の島だった」
16世紀半ば、石見銀山はいち早くヨーロッパに知られ、銀王国・銀の島日本を代表する鉱山でした。
石見銀山産出とされる「御取納丁銀」や当時のヨーロッパ製古地図を通じて、石見「銀山」を世界史の中で紹介します。
ファン・ラングレン 東アジア図
(島根県立古代出雲歴史博物館所蔵) |
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タルタリア図
(島根県立古代出雲歴史博物館所蔵) |
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ティセラ 日本図
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御取納丁銀
毛利元就が、永禄3年(1560年)の天皇即位式のために献上したとされる。 |
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石州文禄丁銀
「石州銀文禄二卯月日」(1593年)の極印がある、石見銀でつくられた丁銀。 |
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御公用丁銀
戦国時代、毛利氏が朝廷・幕府へ献上したと銀とされている。 (島根県立古代出雲歴史博物館所蔵) |
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銀山発見と東アジア
1526年、博多の豪商神屋寿禎に発見された石見銀山では銀生産が急速に発展し、日本産の大量の銀は、東アジア交易に用いられ中国へ流れ込みました。
銀と香辛料を求めたヨーロッパ人が南シナ海を経て日本に到達し、東アジア交易に参入したことも紹介します。
博多遺跡群一括出土 中国陶磁器
銀を介した東アジア貿易により、中国陶磁器は大量に輸入されて流通した。 (福岡市埋蔵文化財センター所蔵) |
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四十三ヵ国人物絵(部分)
17世紀初め、南蛮貿易で伝来した世界図中の万国人物図を原図とする。 |
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大航海時代「ヨーロッパの荘厳な空間を演出した銀」
石見銀山が開発された16世紀から17世紀にかけて、ヨーロッパでは、銀は貨幣のほか王侯貴族の権力や教会の宗教活動を荘厳に飾り立てるために多く用いられました。
ポルトガルのリスボン国立古美術館所蔵の銀器多数を通じて、このことを紹介します。
石見銀山と戦国日本
16世紀から17世紀初頭に最盛期を迎えた石見銀山とその銀は、戦国大名間の争奪戦に見舞われ、その興亡を左右しました。
「尼子晴久像」「毛利元就像」等のほか、「足利義輝像」や「正親町天皇綸旨」など石見銀が献上された中央の権貴にもふれます。
尼子晴久画像
出雲国の戦国大名尼子氏の当主。石見銀山を毛利元就と奪い合った。 |
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天下統一と金銀
16世紀終わりから17世紀初頭にかけ、織田・豊臣・徳川氏の天下統一は、石見銀山をはじめとする全国の鉱山からの潤沢な金銀で支えられました。
これを背景にオランダ・イギリス船が日本へ来航し、東アジア交易への参入をはかったことを紹介します。
豊臣秀吉像(部分)
関白となり、天下統一をはたす。毛利氏と石見銀山を共同管理した。 (名古屋市秀吉清正記念館所蔵) |
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慶長丁銀
石見銀山から多量の銀を産出した江戸時代初め、徳川家康が定めた通用銀貨。 |
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エピローグ 「最盛期の石見銀山」
江戸時代初めまでに、石見銀山は、鉱山本体はもとより都市的な集落・街道・港湾が発展し最盛期を迎えました。
その様子を視覚的に表現し、内容面でも石見銀山資料館会場への橋渡しとします。
正保二年石見国絵図
銀山は柵で囲まれ、山の上まで家が描かれている。 (津和野町教育委員会所蔵) |
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