島根・韓国 交流の歩み
| 古代 | |
| [弥生時代] | |
| 前1~3世紀 | 出雲地方で特徴的な四隅突出型墳丘墓が造営される。高句麗が起源との説も |
| [奈良時代] | |
| 8世紀 | 「日本書紀」に、スサノオノミコトが新羅のソシモリに降り、出雲に渡ってきたとの神話が記される |
| 8世紀 | 「出雲国風土記」の「国引き」の詞章に、「志羅紀(新羅)の三埼」を国引きしたと記される |
| [平安時代] | |
| 10世紀 | 延喜式神名帳で、韓国伊太神社(からくにいたてのかみのやしろ)が出雲の国の条のみに6社記載される |
| 中世 | |
| [南北朝時代] | |
| 14世紀 | 雲南市・光明寺の国指定重要文化財の銅鐘が朝鮮半島から渡来。 重文の朝鮮鐘は安来市・雲樹寺、松江市・天倫寺にも |
| [室町時代] | |
| 14世紀 | 高麗から幕府への使節が出雲市大社町に着岸し、京都へ |
| 15世紀 | 今の浜田周辺に勢力を持っていた周布氏が長浜港を使って朝鮮貿易を行う |
| [戦国時代] | |
| 16世紀 | 朝鮮半島から、石見銀山に「灰吹法」の精錬技術が伝来 |
| 近世 | |
| [江戸時代] | |
| 1820年 | 隠岐の摩天崖付近に漂着した朝鮮の商人らを、今の西ノ島町浦郷に住んでいた東屋新助が救助。これをはじめ、近世には島根県の海岸に朝鮮からの漂着が123件あり、丁重に保護して帰国させる |
| 1836年 | 浜田藩の会津屋八右衛門が、鬱陵島で密貿易していたことが発覚し、死罪となる |
| 近代 | |
| 1910年 | 境港から隠岐島を経て、鬱陵島、元山(現・北朝鮮)を結ぶ航路が開設される。7年後に廃止 |
| 1926年 | 浜田港と浦項(現・韓国)間に航路が開設される。1年で廃止 |
| 現代 | |
| 1967年 | 島根県日韓親善協会が設立。その後、県内5地区に協会ができ、県連合会に変更 |
| 1981年 | 恒松制治島根県知事が韓国・慶尚北道を訪問 |
| 1982年 | 金聖培慶尚北道知事が友好親善のため来県 |
| 1988年 | 第1回日韓親善島根少年の船(現在の『少年の翼』)を派遣。その後、毎年実施される |
| 1989年 | 澄田信義島根県知事と金相祚慶尚北道知事が両自治体の姉妹提携に調印 |
| 1990年 | 慶尚北道・亀尾市で島根県慶尚北道交流展を開催 |
| 1992年 | 職員の相互派遣事業により、島根県職員が慶尚北道へ。2年後に、慶尚北道も同県に道職員を派遣 |
| 1993年 | 島根県立博物館で慶尚北道特別文化展を開催 |
| 1997年 | 島根県日韓親善議員連盟と慶尚北道議会国際親善議員連盟が交流に関する合意文書を交わす |
| 2001年 | 竹島(韓国名・独島)の領有権問題をめぐり、島根県と慶尚北道の交流が中断 |
| 2002年 | 姉妹提携に基づく交流を再開 |
| 2005年 | 毎年2月22日を「竹島の日」とする島根県の条例制定をめぐり、慶尚北道が姉妹提携の破棄を通告 |

