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日本海に浮かぶ孤島「竹島(韓国名・独島)」。断崖絶壁に囲まれた島は、人を寄せ付けぬ趣を醸し出す。1950年代からは、韓国の実力支配により、日本人を拒絶。長い歳月を経てなお、決着をみない領有権問題という、重い「宿命」を背負う。打ち寄せては砕ける荒波は、日韓両国の間で揺れ続けた島がたどった複雑な歩み、現状の厳しさを物語る。
 しかし、目をつむり、思いをはせれば、そこには、私たちが暮らす地域の先人たちの「営み」が映し出される。息吹を感じる。江戸時代に鬱陵島へ往来する際に立ち寄った米子の大谷、村川両家の船頭たち。そして、明治時代からアシカをはじめとする豊富な漁業資源に魅せられ、勇んで向かった隠岐島民ら多くの漁民たちの姿、声が…。
 そんな光と影を併せ持つ島には、時代、時代で、どんな「記憶」が刻み込まれているのか。残された貴重な写真でたどる。領有権問題が決着し、島が本来の姿を取り戻す日が、1日も早く訪れることを願って―。

1906年、竹島へ出発前に記念撮影する島根県の調査団一行
(松江市・奥原秀夫氏提供)
中井養三郎らが経営する竹島漁猟会社の様子
(1909年撮影、古今書院提供)
1905年8月19日、この年に島根県に編入された竹島の視察途中で、当時の松永武吉知事が隠岐島庁の知人に送った絵はがき。「新領土竹島を巡視する」と書かれている
1953年6月27日、島根県が竹島に建てた日本の領土であることを示す標柱
1954年5月、島根県からの依頼で竹島で漁を行った際、漁業取締船「島風」上で記念撮影する隠岐島の漁民ら
竹島周辺は、漁業資源の宝庫。漁が盛んに行われていた
(中渡瀬アルバム収録、昭和初期撮影)
竹島周辺の日本海に生息するニホンアシカの群れ
(中渡瀬アルバム収録、昭和初期撮影)

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