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 この問い掛けに、どれだけの国民がうなずくことができるだろう。また、どれだけの県民が、同島の来歴や知識を持ち合わせているのだろうか。日本海に浮かぶ竹島は、隠岐諸島の北西約157キロ、北緯37度14分、東経131度52分に位置し、現在は島根県隠岐の島町に属する。
 高さ157メートルの西島と、それよりやや低い東島、数十の岩礁からなり、総面積は23万平方メートルで、東京ドームの約5倍の広さがある。韓国では独(トク)島(ト)と呼ばれる。
 飲料水の乏しさなど、居住条件は厳しいものの、周辺一帯は南からの対馬暖流と、北からのリマン寒流の接点になっており、魚介藻類の種類、数量ともに豊富。好漁場として知られる。
 歴史を振り返れば、日本領であることは疑いない。根拠の1つは、1世紀前の1905年2月22日、当時の島根県の松永武吉知事名で発せられた「県告示第40号」という、重要な手続きに求めることができる。

 「北緯三十七度九分三十秒東経百三十一度五十五分隠岐島ヲ距ル西北八十五浬ニ在ル島嶼ヲ竹島ト称シ自今本県所属隠岐島司ノ所管ト定メラル」

 この竹島が島根県所属となったことを示す告示は、その約1カ月前の1月28日の明治政府の閣議決定を踏まえ、行われた。同政府は古くは「松島」、当時は「リャンコ島」などと呼ばれた島を「竹島」と命名。日本領土に編入し、島根県に組み入れることを決めた。
 閣議決定前には、他国が占領したと認められる形跡がない上、隠岐島の漁業会社がアシカ漁のために構えた小屋が、占領の事実に当たると確認。手順を踏みながら、竹島が国際法上の「無(む)主(しゅ)先(せん)占(せん)」の地であると判断した。
 さらに、第2次世界大戦の戦後処理として、1952年4月28日に発効したサンフランシスコ講和条約でも、あらためて日本領土と確定した。
 ところが、1952年1月18日、韓国が「李承晩ライン」を一方的に宣言。日本海などの公海上に線を引き、竹島を自国領に含めてしまう。再三にわたる日本政府の抗議にもかかわらず、韓国はその後も実力支配を強化。竹島は1999年1月22日発効の新日韓漁業協定で、両国が共同管理する暫定水域に含まれたが、日本漁船はいまだに近づくことができない状態が続いている。
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