パワーフロンティア*〜企業局の歴史
「パワーフロンティア*〜企業局の歴史」ページにようこそ
このページは、みなさんに企業局の歴史と、仕事ぶりを紹介します。
島根県企業局はこれまで、発電、上水道、工業用水道、宅地造成など県土の基盤整備とその保全に数多くの誇るべき仕事を成し遂げてきました。そして、それぞれの職員がその過程で多くの困難を乗り越えて、語り継ぐべき多くの物語を生み出しました。
ひとつはダムの建設現場でだったかもしれません、あるいは職員と家族との交流の場で生まれたかもしれません。数々の物語の積み重ねが、今の企業局の礎になっているのです。
せっかくのこれらの物語も、元職員の記憶の中にだけとどめられているのでは世に出ることはありません。この機会に、これらを公開し先輩の偉業を再確認するページをつくっていきます。
以下の[〜期 〜年]と書かれたリンクを選択すると、その期間に行われた出来事の写真とコメント、および年表をみることができます。
このページはまだまだ未完成です。県民のみなさんからの写真や、写真・物語に関する情報を募集していますので、何かありましたら、企業局まで、Eメール、手紙、電話、FAX等にてお知らせください。
それでは「パワーフロンティア*〜企業局の歴史」ページをお楽しみください。
1951(昭和26)年10月に島根県企業局の母体となる土木部電気砂防課が発足してその歴史をスタートさせた。県内初の県営水力発電所となる三成発電所が1954(昭和29)年6月に運転開始。その後、1958(昭和33)年には八戸川発電所が運転開始した。水力発電は「白い石炭」と呼ばれ県内地域に電化をもたらす救世主としてもてはやされた。
1960(昭和35)年には電気局、1965(昭和40)年には企業局と名称を改めてさらなる水力発電の開発をすすめた。治水開発によるダムの建設ラッシュで、1968(昭和43)年の飯梨川第二発電所の運転開始時には県内7発電所をも擁することとなった。高度成長期のただ中で県民にとって欠かすことのできないエネルギー供給拠点へと成長し、県内産業振興の一翼を担った。
1969(昭和44)年になると、初の宅地造成事業となる浜田市駅前の道分山開発事業に着手。同年6月からは飯梨川上工水道事業が、1985(昭和60)年には江の川水道事業が給水を開始し、また度重なる渇水の経験から、1980(昭和55)年には県営山佐ダムを水源とする飯梨川水道の拡張事業が運用開始するなど、企業局は本格的に多角経営に乗り出していく。電気事業以外へも事業を広げることで企業局の規模はこの時期に一気に拡大する。
発電所の集中監視化、自然保護運動の高まりによる大型開発の行き詰まり、さらに、2010(平成22)年の電力自由化を見据えた卸電気事業者の存在意義の変化など、電気事業に大きな変化の波が押し寄せている。
上水道事業も、これまでの給水率向上の拡大路線は一段落し、「清浄、豊富、低廉」に表される質の向上への転換が進んだ。水質事故も年を重ねるごとに頻度が増しており、監視業務への質的要望はさらに高度化している。
各種規制の強化により、自然を大きく改変するこれまでの開発のやり方では、今後の持続的な発展は望めなくなってきていた。新たな成長を続けるには自然との共生が欠かせない時代となった。
このような状況の中、2004(平成16)年2月には、隠岐の大峯山で風力発電所(600kW×3基)が稼働。さらに、2008(平成20)年11月運転開始を目指して、江津高野山風力発電所の建設が始まった。
水道事業では、広域化をキーワードに地域との共生も議論され始めている。
自然環境保護と持続的な発展の両立を目指す新たな局面に入った。

