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しまねの砂防の歴史

・砂防とは

・島根県の概要

・島根県の地勢

・島根県の災害の歴史

 

島根と砂防

 神話のふるさと、日本のふるさと、と言われる島根県。昭和59年7月、斐川町の荒神谷遺跡から大量の銅剣、銅鐸、銅矛が発掘されたニュースは多くの人々に古代ロマンをかき立てました。

 県下には、それぞれの地域で、スサノオノミコト、オオクニヌシノミコトの神話や神楽が登場してきます。神話の代表的なものに、八岐の大蛇の話があります。生贄になる娘を助けるために、スサノオノミコトは、大蛇に酒を飲ませて、酔ったところを見事に仕留める。大蛇の尻尾から草薙の剣が出てくる。ご存じのこの話は奥出雲、仁多横田の地域であったとされています。

 斐伊川の上流では、古来より、山の真砂土を削りとり、それを水洗い(鉄穴流し)して砂鉄を採取し、炉に入れ、幾日も焚き続けてできた銑鉄のかたまりのごく一部の鋼で、刀剣を造っていました。年を経るとともに燃料の木が枯渇し、削りやすい便利な場所を求め、転々と移り変えていたと想像されます。禿山と砂鉄採取後の残滓、大量の土砂が斐伊川の流れを真っ赤に染め、川をうめ、海に運ばれ、出雲平野をつくり、今は川を天井川にしています。

 その長い過程の中で災害と対策が、自然と人の攻防が繰り返されたことでしょう。まさに砂防の原点をみる思いがします。

 記録的に明確なものとしては、昭和9年の室戸台風により、奥出雲の盆地が一面に土砂に埋没するという、激甚な被害を蒙り、この復旧にさいし、長野県より砂防技師を招聘し、本格的な砂防工事をはじめたことになっています。

 本県の大災害としては、昭和18年の石見地域、昭和39年の出雲地域、昭和47年、昭和58年、昭和63年の石見地域災害があげられます。いずれの災害も山崩れ、がけ崩れ等、土砂による被害が大きく、土砂災害と言えます。

 とりわけ、昭和58年災は、梅雨末期の記録的な豪雨が3万箇所に及ぶ、山崩れ、がけ崩れを発生させ大災害の引き金になっており、地形や住環境の悪条件がより被害を増大させたと考えられます。

 107名の死者のうち、がけ崩れなど土砂災害によるものが87名にも達し、砂防対策の整備不足を痛感させられる結果となりました。その後に発生した昭和63年災は、昭和58年災に次ぐ県災害史上に残る大災害となりましたが、過去の幾多の災害の反省から、関係水防団体等が的確な防災対応を取ったこと、また、住民の自主的な警戒、避難行動などにより人的被害(死者6名)は最小限に食い止められました。

 また、平成9年平田市布勢川で発生した土石流は家屋4戸が全半壊するなどの被害を被りましたが、土石流発生直前に地域住民は地元自治会長の避難指示により避難を完了、ことなきを得ました。この様に島根県内においても、土砂災害に対しての関心は高く、自主避難や避難勧告の発令など順次多くなり人的被害は減少しています。

 本県の山地丘陵面積は8割を超えており、住環境の大部分は、山ぎわ、谷ぎわに近接する、いわゆる谷底平地に家屋が密集しています。この現状は並大抵のことでは、改善する余地に乏しいと判断されます。

 県下の土砂災害危険箇所(要対策箇所)は5,897箇所を数え、鋭意その整備を進めておりますが、今のところ17.5%程度の進捗にしかすぎません。

 災害の防除、住環境の安全対策、農宅地の基盤整備、農山漁村の活性化、ひいては過疎化の歯止のためなど、県民の生命や財産を守るための最も基本的な社会基盤の整備である砂防関係事業の担う役割は大きく、なお一層の整備促進を図ることが肝要であります。

 この実情をご理解、ご支援いただければ幸いです。

※要対策箇所は、保全対象家屋が5戸以上または5戸未満であっても公共施設がある危険箇所

 (急傾斜地崩壊危険箇所については、このうち更に人工斜面・他事業関連斜面を除いた危険箇所)

 

島根県初の砂防事業の写真砂防のイラスト
島根県初の砂防事業(昭和10年、横田町大馬木川の流路工)


お問い合わせ先

砂防課

〒690-0887 島根県松江市殿町8番地(県庁南庁舎)
TEL:0852-22-5206(代表)
TEL:0852-22-6785(防災学習会・土砂災害警戒区域に関すること)
FAX:0852-22-5788
sabo@pref.shimane.lg.jp

☆各事業の担当連絡先は、
 砂防課トップペ-ジ/ご意見・お問合せに記載しています。