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石見銀山街道コース

温泉津町隅田から降露坂への道

コースの概要

 

 鎌倉末期に開かれた石見銀山は、江戸時代に最盛期を迎え、人口も約20万人に達したといわれている。そのため、銀や生活物資の輸送のための道路が四方に開かれていた。これから紹介するコースは、当時の主要街道の一つで、コース沿いには、石見銀山の盛衰を伝える数多くの遺産が残されている。
また、降路坂(ごうろざか)の自然観察コースでは、アキニレ・エノキなどの珍しい広葉樹が観察され、また、時にはシジュウカラ・サンコーチョーなどの野鳥や野生のサルとも出会うことができるなど、自然と歴史が同時に楽しめる家族づれ向きのコースとなっている。

 

 

MAP

 

やなしお道・湯抱小松地モデルコース

●やなしお道

 やなしおの道の歴史は古く、正平9年(1354年)の文書にもその記述が見られるが、徳川氏が銀山を支配した慶長年間からは、この道は大森からの産銀輸送のため初代石見銀山奉行大久保長安の指揮の下に「官道」として整備が行われた。この整備には中国から伝わった真砂土と粘土を交互に層状に突き固める「版築工法」が用いられた。やなしおの道は、平成8年に文化庁の「歴史の道百選」に指定されている。

やなしお道

 

●十王堂跡

 この美しい竹林にはかつて、十王と六観音を安置した小堂が建っていた。ここで道が直角に折れ、東側(湯抱・粕渕方面)200m先に、三瓶山の眺望がよい「茶縁原(ちゃえんばら)」がある。

 

●湯抱温泉

 美郷町の粕淵に近い、女良谷川に湯けむりをあげる静かな温泉。現在では、湯治場の雰囲気は薄れたが、山の湯の自然環境は失われておらず、訪れる温泉客は多い。泉質は含土類食塩泉で、リュウマチや神経痛に効能がある。

 

 

温泉津・沖泊道モデルコース

●石見銀山(いわみぎんざん)

 鎌倉末期、周防の領主大内弘幸によって開かれた石見銀山は、その後、尼子(あまご)・毛利(もうり)の激しい争奪を経て、江戸時代に天領(幕府の直轄領)となった。一時は産銀量が1万貫、人口は20万人(当時の江戸が40万人)を越えたといわれている。

 

●大森の町並み

 石見銀山の中心地で、800mにも及ぶ武家屋敷や民家の町並みは、当時の生活様式などを知るうえでも非常に貴重である。

 

●大森代官所跡

 銀山が最盛期だった江戸時代、周辺3郡(48,000石)の地と銀山を管理したのがこの代官所で、正面と門長屋の建物は当時のままである。

大森代官所跡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●大久保石見守の墓碑

 石見守は、慶長6年(江戸時代)、初代奉行として派遣され、銀の採掘に新しい技術を導入して石見銀山を空前の大繁栄に導いた。

 

●清水(せいすい)寺

 聖武天皇の時代に一国一寺の寺として建立されたといわれ、銀派の発見も清水寺の観音のおつげがあったと伝えられている。寺宝も多く、特に辻ヶ花染胴服は国指定の重要文化財に指定されている。

 

●山吹城跡

 要害山とも呼ばれ、鎌倉時代に周防の領主大内氏が、銀山攻防の拠点として山頂に城を築いた。以来、尼子・小笠原・毛利氏などが30年間にわたってこの城の争奪戦をくりひろげた。

 

●仙(せん)ノ山

 海抜530mの山で、銀峰山、銀峰仙あるいは石銀(いしがね)とも呼ばれ、古来、銀山の銀は主としてこの山から掘り出された。

 

●佐毘売(さひめ)山神社

 山神宮(さんじんぐう)とも呼ばれ、本殿・幣殿・拝殿と特殊な三殿造りで、神楽殿もある。当時の領主は、鉱山の神として大切にしていた。

 

●間歩(まぶ) 

 間歩とは、銀を採取した坑道のことで、大久保、新切、本、釜屋間歩など周辺の山には600以上の間歩があるといわれている。歩道沿いにある龍源寺間歩の坑口は大きくしっかりしているため、坑内の探策が楽しめる。

間歩の写真

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●降路坂(ごうろざか)

 折り重なる山々に挟まれた石見銀山街道の難所の1つで、目を閉じると戦国時代の合戦や、人馬の往来が幻影のように浮かぶようである。この峠から見る山々や日本海の眺めもすばらしい。

 

 

●矢滝城跡

 戦国時代の山城跡として有名で、享禄2年(室町時代)周防の豪族大内義興が銀山を守るために築いたものである。

西田から望む矢滝城山

 ↑西田から望む矢滝城山

 

●西田集落

 大森と温泉津のほぼ中間地に栄えた宿場町で、町並みには当時の面影が残されている。

 

●清水(しみず)集落

 道床山(どうとこやま)はもともと今の約2倍の大きさがあったが、室町時代に山津波で崩壊し、集落や寺院をのみこんだといわれている。清水はその跡にできた岩と果樹木の美しい集落である。

 

●清水の金柄杓(かなびしゃく)井戸

 清水集落の民家の石垣の下に、岩の間からわき出る泉がある。銀山街道を往来する人々はここで渇いたのどを潤していた。そのそばに金(かね)でつくったひしゃくが置かれていたことからこの名がついたものである。

 

●温泉津(ゆのつ)海岸

 リアス式海岸特有の変化に富んだけわしい海岸はみごとで、磯釣りや海水浴など四季を通じて利用者が多い。

温泉津海岸

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●鵜(う)ノ丸城跡

 温泉津港を見おろす要地で、毛利元就が尼子との戦いの際、水軍の基地としたところである。

 

●温泉津港

 石見銀山への海の玄関として栄え、この港からは主に食糧などを中心とした生活物資が銀山に送りこまれた。港内には当時の帆船をつないだ鼻ぐり岩がたくさん残されている。

 

●温泉津温泉

 海と山に囲まれた温泉郷で、温泉津港とともに江戸時代以降、全国にその名が知られるようになった。温泉の主成分は食塩泉で、神経痛・リウマチ・ムチウチ症などに特効があるといわれている。

 

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