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両鏡相照を見てくれた友人

 先日嬉しい電話が旧来の友人からあった。現在岡山県のある高校の校長をしているという。この欄を時々見ており、掲載した辞令交付式の挨拶に共感して電話してきたのだという。彼とは大学時代の時空を同じくした仲だ。したがって今年還暦を迎える団塊の世代ド真ん中である。

 各地でおそらく還暦の同窓会が開かれることと思う。私の小学校は残念ながら今勢いがなく計画がないが、その模様は次のようであろう。またあって欲しい。

 同窓会

 

久し振りだよネ元気だった?

その後どうしてた?

へぇ頑張っていたんだネ

意外と若そうじゃない

青春のパトスをはぎとってきて

楽しくやろうよ

セピア色の恋愛論は似合わないけれど

しっとりとできれば渋くもあり

おしゃれで凜として

人生(いま)を燃焼し尽くそうよ

 

 

 話は変わるが、退職者を送る挨拶として、この何年か次の同じ言葉を繰り返してきた。澄田前知事をお送りするときにも申し上げた。「平成15年に策定した島根県の高齢社会ビジョンのコンセプトにあるとおり、オシャレで凜とした生涯現役社会島根を実践するこれからの生活をお祈りします。」勿論、今春退職された教職員、県職員の皆さんにも申し上げた。

 またまた話は変わるが、県の政策としてNPO活動など県民との協働をあげている。こうした県民活動として、県職員OB(G)、教職員OB(G)の知見や経験を是非とも生かしていただきたいものである。何、無理をすることはありますまい。それぞれが、無理なくできる範囲で活動することが実は相当なパワーを生み出すと思われる。

 「教育にかかわること、それ以外の地域活性化、地域振興にかかわることを、それぞれの地域で」ということが前述の高齢社会ビジョンの趣旨である。NPOに限ることなく、公民館活動、自治会、体協などの選択肢がある。近況報告で聞く例では現職教員時代に引き続き、「ノーテレビ・デイ」の取り組みで子ども達のメディア脳の対策を行おうとする活動、子ども達の留学の受け入れ活動、町内会役員を複数引き受けたなどがある。

 以下の文はこうした社会活動についての「団塊世代論」として書き始め、未完のままであったものを、今回あらためて掲載することにした。

 順序としてはこの文章の後に今回のこのレポートが続くものと考えていただきたい。

 


 団塊世代の教育論

 団塊の世代の皆さん

 我々は全力で、戦後復興期、高度成長期、平成のバブル経済崩壊後の経済の再編成期(バブルに例えれば縮小期)という大まかな区分け3つの時代を全力で駆けてきました。ふりかえれば時代の有り様も大きく変わりました。我々の世代を象徴するひとつであるフォークソング的にいえば"思えば遠くへ来たもんだ!"の感があります。

 今ようやく、その全力疾走から一休止し、今度は少しゆとりを持って沿道の四季折々の移ろいに目をやりながら、風雅を愛で、時には唱歌やフォーク、演歌やジャズの一節も口ずさみながら、時には指折り5・7・5とか5・7・5・7・7とかのくさい詩作の脳力トレーニングをしながらの人生が始まります。いや、始めたいものです。

 島根県が平成15年度に作成した高齢社会ビジョンは、「おしゃれで凛とした生涯現役社会島根」としています。我々が高齢者といわれる階層の仲間入りをした時の時代の雰囲気を表現するフレーズとしました。今まさにその時期が到来しました。

 この4〜5年の構造改革により、医療費、介護保険料の急激な引き上げや年金の大幅な引き下げが行われました。国家財政や地方財政が極めて深刻な危機的状況にあることから少々のことは甘受すべきとは思うが、生活設計として描いた第二の人生の設計図をかなり縮小させざるを得なくなりました。

 でも、そこはそれ、もともと戦後の貧しかった時代の経験もしてきた我々のこと、知恵と工夫で図面の引き直しを何とかやった上で、"おしゃれ"の実践をしたいものです。

 皆さんはどんな設計思想(アーキテクチュアー)で設計図を描こうとしていますか。

 人生を振り返った時、やりたくてやり遂げられなかったことをあらためて企画する人、二つとは選べなかったが故にあきらめた道をリセット的に始めようとする人、歩んだ道の延長に更なる地平を目指す人など様々であろうと思います。いずれの道も、今までの、家族に対して持たざるを得なかった責任とは比較的無縁な形で選択できると思います。

 仕事柄、皆さんの設計にあたって検討して欲しい点があります。我々の言語的にいえば「連帯」の呼びかけです。

 団塊の世代は、その数ゆえに良くも悪しくも戦後の時代のその時々の経済、社会、思想、世相をつくる主役でありました。

 したがって国としての歴史は、そのまま個々人のライフ・ヒストリーであります。そして今もそうであり、これは火葬の煙となった後の例えば法要需要まで変わらぬともいえます。ということは、我々の動向如何では、世の流れを作り出すことや、流れを変えることも可能ということです。

 あの青春の、青臭いが故に失敗した、思慮に欠けた世直し運動を、形を変えて行うことも大いに可能性があります。

 皆さんは今の社会をどう分析していますか。毎日報道される信じられないような事件や事故、自殺の多発や振り込め詐欺などの新手の犯罪、汗を流して働くことを軽視し、パソコンでの株の売買により金を儲けることがあこがれという価値観、唯金主義、ライブドアや耐震偽装、その後に生じた食品偽装にみられるモラルの喪失など、もはや社会が壊れてしまった感があります。

 社会が壊れて子どもが壊れない訳がありません。いま、子ども達が危ない!と言っても過言ではありません。子どもが当事者となったいたましい事件、すぐにキレる子ども、暴力行為、不登校もまたしかり、自殺も。学力、徳性、体力は低下、生活リズムは狂い、ことさら「早寝早起き朝ごはん」運動をしなければならない始末。歌謡曲をなぞれば「何から何までまっ暗闇で...」、「こんな世の中に誰がした?」です。

 そして、それは団塊の世代にも責任ありと返ってきます。

 我々が受けた教育は、まさに戦後民主主義教育を最も純粋な形で構成したものでした。伝統文化や宗教は戦前を想起するからダメ。民主主義は上下関係や親の孝行、公共の利益を否定的に捉え、個人の人権、人格こそが最も尊重されるべき理念とされました。

 「日本主義」が戦争に導いたとの総括のもと、欧米近代主義こそが人類が進歩する正しい道と信じて疑うことなど考えられもしませんでした。

 物に乏しい復興期から、物の豊かさを追求し、それを世界の奇跡として成し遂げた反面、心を貧しくしてしまいました。

 そして、こうした価値観で、そのまま子育て、学校教育、社会での後輩指導に当たりました。いわば負の増幅の先頭です。従って我々にも社会的責任があると考えるものです。

 この歴史的責任をとる方法は、我々が一面では「古き良き日本主義」の最後の継承者であると自覚し、世直し隊の先鋒を務めることです。

 幸いに我々は運動の組織化、展開の仕方に長けています。行動原理や自らの行動処方も弁えています。新聞を読むかぎり、老若男女とも社会的事件の主役を演じています。「暴走老人」という本も出版されました。一人ひとりが自らの信ずるところに従い行動すること。「連帯を求めて、孤立を怖れず。」です。


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