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小野篁(たかむら)と隠岐

本土から約60キロの日本海に浮かぶ島根県の隠岐諸島。
多様な自然や豊かな文化、海の恵みで知られるこの島は遠流の地としての歴史を持ち、流罪となった貴人たちを受け入れてきました。
遣隋使・小野妹子の子孫で、遣唐副使だった小野篁もその一人。
各地に伝わる篁の逸話をたどり、隠岐を訪ね歩きます。

 

海士・菱浦港の近くにたたずむ三郎岩の写真
海士・菱浦港の近くにたたずむ三郎岩

 

 

金光寺山から見た日本海の眺望の写真
金光寺山から見た日本海の眺望

 

 

篁作と伝わる仏像の写真
篁作と伝わる仏像

 

 

金光寺の写真
金光寺

 

 

明屋海岸から見た島後の写真
明屋海岸から見た島後

 

 

光山寺の写真
光山寺

 

 

尾形光琳作の小倉百人一首に描かれた小野篁の写真(復刻版、大石天狗堂)
尾形光琳作の小倉百人一首に描かれた小野篁(復刻版、大石天狗堂)

 

 

あごなし地蔵をまつる堂の写真
あごなし地蔵をまつる堂

 

 

願満寺の写真
願満寺

 

 

マップ

 

 

「わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと人には告げよあまの釣舟」

 

 

百人一首に収められたこの歌は隠岐に向かわんとする際、松江市美保関町で風待ちをしたときに詠んだとされています。
平安時代初期の歌人として知られる篁は、遣唐副使を命じられたものの、正使とのいさかいから病気と称して職務を拒否。
そのため嵯峨上皇の怒りに触れて隠岐配流の身となり、838年に隠岐島前(どうぜん)の海士(あま)町豊田の野田に流されました。
海士の里人が信仰する霊山・金光寺(きんこうじ)山の頂にひっそりと建つ金光寺は篁の草創と伝えられ、その六社権現に篁は100日間参籠(さんろう)して赦免帰京を祈願しました。
寺の一角は眺望が開け、手前に西ノ島、遠くに隠岐島後(どうご)が日本海に浮かびます。
望郷の念に駆られる篁の目に、この絶景はどう映ったのでしょう。
篁は配流された1年後、明屋(あきや)海岸から海を渡り、隠岐の島町那久(なぐ)の光山寺に身を寄せます。
学問に秀で眉目秀麗な篁は隠岐で数々の恋をし、仏像を彫り残しました。
よく知られているのが、光山寺から隠岐の島町小路の願満寺へ日参する道中で芽生えた都万目(つばめ)の娘・阿古那(あこな)との恋。
罪が許された篁は、別離の前に阿古那へ2体の木像を彫り与えます。
それが隠岐の島町都万目に祭られている「あごなし地蔵」。
旧暦7月23日の供養の時だけ開帳され、併せて開かれる盆踊りでは、二人の悲恋が盛り込まれた歌が歌い継がれています。
明治2年に隠岐では激しい廃仏棄釈があり、いくつもの寺院や仏像が失われましたが、篁が彫った仏像のうち、あごなし地蔵や願満寺の薬師如来と2体の仁王像は難を逃れました。
また、那久でも篁作と伝わるものが那久の人々によってかくまわれ、本土を臨む海沿いの祠に今も祭られています。
篁の隠岐滞在はわずか2年ながら、語られる物語は千年以上の時を経た今でも、尽きることがありません。

 


○お問い合わせ
海士町交流促進課(TEL08514・2・0017)
隠岐の島町観光課(TEL08512・2・8575)
 

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